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バディー、日本上陸 [留学生日記]

深夜便の予定が明け方のテイクオフとなり、羽田経由の旅が一層長くなってしまいました。
若干一名、それを苦にもせずに、まだ見ぬファーイーストの近代国家に思いを巡らせ、隣席でひとり
興奮している私のバディーを除いては...。 [ふらふら]

荷物の数の関係で伊丹空港には姉夫婦が出迎えてくれたので、非常に助かりました。
阪神高速と一般道を乗り継ぎ実家までのストレート行程。やっぱり車は便利でいいわ。 [わーい(嬉しい顔)]
途中に何度もコンパクトな日本家屋を目の当たりにしていてくれたおかげで、我が家の前に立っても
さして驚いた様子がなかったトムでした。場所が大阪の郊外だったので開放的な雰囲気がそう
させたのかも知れません。

その夜は日本式歓迎パーティーでおもてなし。トムには生まれつきの持病があって、食べる物に
かなり制限があったのですが、母親には事前にNG食材を伝えてあったのと、魚主体のご馳走
だったので、見ただけでも健康的に見えたのでしょうか、彼はたいそう日本食がお気に召した
ようでした。この日から母親が調理する料理全てに興味を持って、キッチンで観察するぐらいです。
ちなみに彼の大好物となったのはなんと、目刺とししゃもだったんですよ!

私が外出する時は勿論必ずトムを連れて行きましたし、大阪や京都・奈良と言った月並み観光も
忘れずにやりました。訪れた名所旧跡に堪能したのは言うまでも有りませんが、特に私が連れて
行った食事が気に入ってしまったようです。
食い倒れ大阪。当然です。タコ焼き、お好み焼きに焼きそば、炉端焼きに関東炊き(おでん)、すし
らーめん、串カツetc。何と日本と言う国は食べ物がバラエティーに富んでいるのか! とは
彼の最大の関心事でもありました。二度漬け禁止の大阪文化もちゃんと教えておきました。

ちなみにタコ焼きやお好み焼きなら町場でも、充分に美味しいものが食べられるし、観光気分で
串カツが食べたくなったら、通天閣でビリケンさんの足の裏でも摩ってから、周りの店へ飛び込んで
ベタ大阪気分を味わうのも乙なもんですよ。[ひらめき] お嫌いじゃあなければですが...。

万博を経験している大阪でも当時はまだまだ外人さんは珍しい存在。と言うか間近で見る機会が
少なかったからだと思いますが、英語で喋っているとあっちからチラチラ、こっちからチラチラとやたら
熱い視線を感じるのでした。まだ若い私が流暢に喋っていたこともあったのでしょうか!?
この時ばかりは優越感に満たされて有頂天気分でした。
そうそう、けがで入院していた高校時代の友人を見舞った時は、友人が同室の人達に自慢げな顔を
していたのを覚えています。『どうョ、俺も国際的だろ?』と言わんばかりでした。

大阪城では私がちょっとトイレへ行っている間に、フリークライムが趣味だったトム君が石垣でそれを
始めちゃって警備員さんからイエローカード。そう言えば実家でもやらかしましたわ。 [ふらふら]
京都の祇園祭、山鉾巡行の見物へ行った時はあまりの人の多さに酔ってしまい、急に具合が悪く
なってしまったりと言う事件も有りました。

*祇園祭と言うと7月の半ばですよね。と言う事は彼は少なくとも2か月近くもの間、大阪の実家に居たと言う事ですよね。
  どおりでこの期間中に就職先の目途がつかなかったわけだ!これを書いていて初めて気が付きました。*

関西地方を堪能したであろう相方を連れて、次なる目的地東京へと移動することになりました。
大学の友人も帰国しており、彼の弟の誘いもあって何故かみんなで、あの私ゆかりの名門K大学
テニスサークル軽井沢合宿に(名前だけでもチャライです)参加。
圧倒的に参加者の多かったジャパニーズ・ギョールに、トムの顔も次第にほころんでまいります。
果たしてこの旅で、この恋多き男の運命や如何に?

私たちが宿泊したホテルはスイスの湖畔を模した南軽井沢で、当時人工池の周りには三越デパート
もあったほど賑やかな所で、軽井沢絶頂期でもあったのではないでしょうか。
現在は多少改修されてはいるものの、当時の面影は全くありませんね。
ただし、閑静さは戻って来たので、別荘地らしくなったとは思うのですが、いいかがでしょうか?
当時、テニスの真似事をしたコートは今でも残っていますが、いつも淋しくたたずんでいるだけです。

東京へ戻ると今度は、友人の友人たちが入れ替わりでトムの相手をしてくれました。
その内の誰かが連れて行ってくれた〇泉のとんかつに彼はハマった様子でした。
また、会話に入れない時のために持参していたペーパーバックに、ドラえもんの表紙を誰かに
付けて貰って、彼がそれを読む所どころで、周りの笑いを誘っていました。

東京の名所旧跡をカバーし、おまけに軽井沢まで足を延ばせたトムはご満悦で日本を去ることに
なり、そして今度は羽田空港での本当に懇情の別れとなったのでした。 [もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]
以来30年という月日が過ぎ、現在は前にもお伝えした通り、彼を探し当ててメールのやり取りを
してまして、特にSF小説家となった現在、彼の執筆第一弾パート4のネタを提供しているところです。
この物語の中で、日本人の登場人物として私を扱ってくれるらしく、今から楽しみにしています。[わーい(嬉しい顔)]

ひとり大阪へと戻った私はすっかり遊びボケて、就活どころではなくなっていましたが、一念発起して
ハワイからアプローチしていた候補を、残り時間の全てを費やして潰して行くのでした。 が
結果はご想像のとおりでして、唯一この私に期待をかけてくれていたのは、前回出稼ぎに戻って
来た時、私に美味しい通訳の仕事をくれた親戚のおじさんでした。
有り難い話です。しかし、極力甘えないよう自分の力でなんとか探し当てるよう頑張るしか
ないのでした。

心身ともに疲れた状態でハワイへと戻った私ですが、新学期も控え心新たにこの時は勉強の事だけ
に集中して行こうと、ただでさえ
誰しもが心ユルユルとなってしまうこのハワイと言う土地で
自分の心をとにかく一つにまとめ上げていく努力をするのでした。


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