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Farewells [エピローグ]

[夜] 
思えば1977年春、ここハワイ州ホノルル市に初めてその足で降り立ってから、6年もの歳月が流れ
その間にメインランドとの往復も幾度と繰り返しながら再びこの地へ戻り、この記念すべき日をもって
ついにその長い長い旅が終わろうとしていました。 [夜]

キャンパスのほぼ中心にある芝生の広場に於いて、Undergraduates 及び Graduates そして
その家族や友人たちが一堂に会し、1983年Spring Semester Commencement が厳かにも
しかし、とてもハワイアンに執り行われたのでありました。時は5月半ばAM。
式には母親とまだ当時は彼女であった今の妻をはじめ、大勢の友人が様々なレイを持って祝福に
駆けつけてくれました。

日本の大学の卒業式の事は良く知りませんが、この卒業式に限ってはハッキリ言って、品のいい
お祭りです。
そこら中で大声を出して馬鹿騒ぎすると言うものではなく、こう何と言うか、自分の周りのその場の
雰囲気を楽しむと言うか、オリンピックの閉会式みたいな感じです。
式次第みたいなものは一応あったようですが、そこは長ったらしいスピーチがほぼ皆無なアメリカ
です。トントンとリズム良くセレモニーは流れて行き、熱中症で倒れたりする者も無く、あっという間に
終わったと言うのが実感でした。

この式の模様は友人が8㎜カメラで収録してくれて、私の宝物として現在も大切に手元に保管して
ありますが、そろそろDVDへ落とさないとヤバイでしょうかね!? [映画] [右斜め下] [CD]

最後の最後までハラハラドキドキの留学生生活でしたが、非常に内容の濃い(時には煮詰まる
ほどに)そして学ぶことの多かった大学生活ではなかったかなと、ポジティブな評価をしています。

この記念すべき日は私にとってのもう一つの卒業式でもありました。
1年強におよび続けてきたKOHO Radio のボランティア・パーソナリティーとして、最後の生放送と
なったのでした。
この日のプログラムは特番で(というか、いつも特番でしたが)私のグラヂュエーションの話題となり
卒業をテーマにリスナーと電話のやり取りをして、リクエストに応えると言う、何の斬新さも無いそんな
特番だったのでした。

しかし、さすがに番組最後のニュースと天気予報のコーナーで締めのリスナーへのお別れの挨拶が
終わり、スタジオのマイク・オンのランプが消灯した時は、ウルウルと来ましたよ。
そのスタジオから出て来た時の写真をアップしようと思ったのですが、どうやら実家みたいです。[もうやだ~(悲しい顔)]

本来ならここでシャンパンなどをポンッ、と開けて貰って仲間から定番通り祝福を受けるところだった
のでしょうが、私にはその前に絶対に抜いておかなければいけない物があったのです。

それは、無情にも左肩に残された15㎝と10㎝の二本の特殊な釘![がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)]

後日、ドクターのオフィスへ行くと、早速、やりまっせと言わんばかりに処置台に寝かされ
部分麻酔を、『イタイヨ~ォ』、とご丁寧に日本語で説明までしてくれて打たた後、いよいよ本題の
釘抜き作業の開始です。
ドクターが良い仕事をしたのか、それとも私の骨の回復力が凄いのか、長い方をなかなか引っこ
抜くことが出来きません。
挙句の果ては処置台にどっちかの足を掛け、ドクターが最後の渾身の力を込めた瞬間でした。

*お食事中の方、大変申し訳ありません。

[むかっ(怒り)]ポンッ![むかっ(怒り)]

綺麗で乾いた爽快な音が処置室にこだましました。

[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]Congratulation [ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]  by Doctor K

これでやっと無事、卒業できました。[わーい(嬉しい顔)]

                                               ‐ おわり ‐

7月14日以来92回に亘り、お届けしてまいりました『留学生日記』は、本日をもって終了いたします。
短い間でしたが、お付き合いしていただいた方々には、心よりお礼申し上げます。


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