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あ・ロングバケーション [趣の抽斗]



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休みボケした身体での出勤は少々辛かったが、2日間ですぐ週末と来たので助かった
横浜で迎えた週末の朝もマックスではないが不思議な鳥の鳴き声で目覚めることになった
最初は隣家の電話のベルが微かに鳴っているものだと思ったが、やたら間隔が長すぎるので、はて?
まだ5時前ではあったけど外へ出てみるとその音量はアップ、でも姿形の目視は不可


かなりの数の用事を横浜中心部でこなし、家へ戻って録画したラグビーTL準々決勝を追っかける
安息日としたかった翌日曜はよって自動的に掃除の日となり、担当の掃除機と風呂場をやっつける
勢いある内にと次回山荘へ持って行くレコードとCD、そしてプレイヤーの梱包もヨイショと
積年のCDコレクションの数は結構なもので、用意した専用ボックスに収納しきれず残アリ


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レコードが去り綺麗になったラックに懐かしいモノが眠っていたのを見つけ暫し思い出に浸る
1982年の夏だったか、就活で一時帰国した際、一緒に来た加州大時代のルームメイトの訪日記念にと
朋友の弟が主催幹事だったK大学テニスサークルの合コン・イン・軽井沢に皆で乗っかった時のお話
思えばこれが私にとって初体験だった合コンと軽井沢、その時BGMで流れていたのはそう、大瀧詠一


さすがK大とあって有名処の女子がわんさか参加して、遥々パロオルトからやって来た甲斐があった米友
滞在したのは確かレイクニュータウンのホテル、ベッドだけで一杯になった3人部屋は蒸し暑かった
テニスをした場所は特定できなかったが、酷似しているコートを見つけたような気がする
ド派手でセレブ感満載の催し物には正直たまげたが、米友はのちの東京観光と共に満喫したはずだ


2度目の軽井沢は1993年夏、帰国後就職&結婚を無事遂げた大学の朋友&先輩とUH杯ゴルフ大会だった
この年春に佐久まで開通したばかりだった上信越道を初めて走行しての家族連れ軽井沢同窓会
プリンス東コースのスタート待ちの間、先輩の年収が当時ジャイアンツの桑田投手と同じだと聞かされ
一同一挙に戦意喪失したのはのちのスコアを見れば明白だったであろうが、それにしても策士な先輩


3度目が確か1998年の厳寒時、妻と二人開通したての長野新幹線に乗り仕事で出掛けた時だった
肌に突き刺さるような寒さの中、突然、経年劣化で剥がれ落ちそうになった靴底を引きずりながら
前年にオープンしたプリンスショッピングプラザ・イーストの店に運よく辿り着き代替え品を入手
悪体験とは裏腹にこの時この瞬間この地に山荘を構えたい、なぜか不思議にそう願う私であった


4度目は言わずもがな、下調べで連絡を取り合ってた地元の不動産屋さんと候補地を見学して回った時
結構な数をこなすもなかなか気に入った物件に出会わずだったが、最後に逆転ホームランが飛び出した
これがミレニアム山荘1号の誕生となりそして足掛け21年の長き付き合いとなったわけである。
大滝氏の遺作のおかげで暫し懐かしい想い出に浸り、つくづく縁というものを感じたひと時であった


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