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断腸の思いの決断 [留学生日記]

[電話] 翌朝、ドクターに連絡をして手術を受けると伝えると、早速彼のオフィースヘ来れたら来るようにと
言われたので、講義が終わった後に伺うとアポイントメントを取りました。

期末試験まではあと2週間ある。大丈夫だ、落ち着け。
しかし、手術と入院で、もし試験が受けられないとしたら・・・・・・・・ 落第か?[ちっ(怒った顔)]
いやいや、もしそうなったら、教授に頼み込んで便宜を図ってもらうとか、打つ手は有るだろうに。
とにかく将来のことを考えたら、ここはやっぱり手術だろう!?

電話の後でとやかく言っても始まらなかったのですが、せめてもの救いは、この日痛いのを我慢して
講義へ出席したことが少なからず奏功したようでした。
何故なら、少なくとも教授に現状を説明することが出来て、同情まで頂けたのですから。

ドクターは大柄な日系人。手術から戻って来たと言ってオフィスに入ってくるなり、

きみ、確か学生保険に加入してたよね。
可哀相な留学生君、私のチャージ(請求)は安くしておくから、保険で大体賄えると思うよ。
手術は3日後でどうだい?

どうもこうもここまで来たら行くっきゃないでしょうに! 覚悟は出来てますって![パンチ]

2日後の夕方に入院手続きを済ませた私は、トイレ付きの2人部屋の一角に陣取っていました。

お金のことは心配することないよとドクターは言ってたけれど、ここまで豪華だと心配にもなります。
翌早朝、時
間通りにナースが部屋へとやって来て、麻酔のための注射を2本、お尻と腰に打ちますと
告げるや否や、サッとお尻をめくられてブスぅと一発喰らいます。[左斜め下]
朝の挨拶にしたはちょっと過激すぎやしませんか?
思わず大学の診療所でのことを思い出したと思った途端、どうやらそのまま深い眠りに入って
しまったようでした。[眠い(睡眠)]

薄っすらと意識が戻って来た時、どうやら私はrecovery room (術後回復室)という所に居たらしく
口の上に置かれた酸素マスクがやたら鉄アレイのように重く感じて苦しくなり、どうやらその時、唯一
動かせた自分の舌を使ってそのマスクを口からどかせたらしく、その場で無常にもナースに叱られて
さらに重みを増したマスクを元に戻されたようでした。[フリーダイヤル]

術後の2日間というもの、痛みとモルヒネのせいで生きた心地がせず、友人たちが見舞いに来て
くれたのも分からないほどだったらしいです。
それでも3日目にはようやく痛みも薄れて、まともに食事が出来るようになりました。

この病院の食事というのがまたずごくて、外科ということもあったのか、ナースがメニューを持って
病室に来てくれ食事の分量からなんと、ステーキの焼き加減までオーダーを取ってくれるのでした。
ドクターが同じ日本人のよしみという事で、たいそう便宜を図ってくれていたのかも知れませんね。
アメリカのステーキがこんなに美味しいものかと、この時最初で最後にそう思ったのでした。

食べることがきちんと出来るようになると、人間の回復力たるや目覚しいものがあります。
傷のくっつき具合も良好との事で、9日目にスピード退院することが出来ました。
期末試験へはギリギリ、ヘッドスライディングでセーフというところでした。本当にギリギリ!!

翌日からはドクターの許可も貰っていたので講義へ出て、遅れを取り戻すことに専念しようと努力
しましたが、不自由な身とハワイなのにまともにシャワーが浴びれていないという、キツ~イ
ハンディを背負っていましたので、集中力は長続きしません。
特に左腕ごと太いバンドで体に固定していたので、使う用の無い30cm定規は必須携帯道具でした。
それを使って講義中にポリポリやっていると、以前から私が怪我をして来る度にやたらとそれを
イジリに来る教授の格好の餌食となっていました。

かなりの同情票があったとは思いますが、どうやら無事に来る卒業式にはあのマントと帽子を身に
まとい、晴れ晴れと参加出来ることになったこの時は、あの魔の日曜日からこの試験最終日までの
長~い日々を思い出さずにはいられませんでした。

あ~あ、本当にこれで全部終わったんだな。

いやいや、もうひとつ大きな課題を克服していません。

どうやったら、髪の毛も体も、きちんと洗えてサッパリ出来るのか?

そうなんです! うちのシャワーは壁にへばり付いていたのでした。[もうやだ~(悲しい顔)]


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嗚呼、これが厄年なんだ!! [留学生日記]

[むかっ(怒り)] 順調にラストスパートを駆けていた私にとって少々厄介だったのは、1983年は輝かしくもまた
記念すべき年であるはずだった反面、厄年の厄男でもあったということでした。 [爆弾]

ラグビーの練習は皆勤ではなかったものの、リーグ戦が継続していたので試合には出場してました。
チームの基本方針として、練習にきちんと参加した者から試合への出場機会が優先的に与えられる
というものがありました。特例を除いては当然の事です。
その特例とやらを創ってしまったのが、どうやら私だったようです。

期末試験にはもう少しだけ時間があったある日曜日、私は友人Bらと共にワードウェアハウスの
チャウダーハウス(現在はもう有りません)で生意気にもブランチをとっていました。
この週は全然練習に出れていなかったのですが、控えとしては試合へ行くのは当然でしたので
ブランチの後はB達も一緒に試合を観戦に来ると言う事になり、優雅に好物だったシュリンプサンドと
ニューイングランド風クラムチャウダー(ボストン・クラムチャウダーとも言う)に舌鼓を打っていました。

試合の前にしてはちょっと食べすぎでしたが、どうせ控えだから出場の機会は無いと高を括っていた
ので、あまり気にも留めずに食後のコーヒーをゆっくりと楽しんでから、試合会場のカピオラニパーク
へと向かいました。[喫茶店]

この日の対戦相手はサモアン100%の強豪チームで、我がハワイ大をもってしても、かなり苦戦を
強いられる相手でした。
いつものようにプレイングマネージャーのゲイリーを中心に円陣が作られて、先発メンバーが順次彼の
口から告げられ、そのポジションの背番号が入った試合用ジャージが手渡されます。

左プロップ(1番)・・・、ナンバーエイト(8番)・・・、スクラムハーフ(9番)・・・、
フライハーフ(10番)・・・・・・・・・・・・、

私にはゲイリーがなぜここで沈黙するのかと思うぐらい、彼の間が長く感じられたのでしたが、次の
瞬間でした。

フライハーフはトフっ。お前がやれ。 [がく~(落胆した顔)]

他に〇Xとか居るんじゃないの。なんで? [ふらふら]

と思った時にはすでにフルメンバーが発表されていたようで、私もその流れに沿ってしまって、気が
付いたらすっかり試合の準備が出来上がっていました。
確かに当時の私はバックスならスクラムハーフ以外は、どのポジションでも無難にこなせる、いわゆる
ユーティリティー・プレイヤーだったので、チームにとっては重要な役目を背負っていたのかも
知れません。

思わぬところで私の登場となったので、友人たちは来た甲斐があったと喜んでくれ、まあ結果
オーライでいいかっ、と自分に言い聞かせ、いつもよりも念入りにストレッチを行なった後
ウォーミングアップへと入って行きました。

案の定、試合直後から厳しい展開となったのですが、前半を15分ばかり過ぎた頃だったでしょうか
わが方にチャンスが訪れたので、私はここでサインプレーを使おうと思い、バックスにその旨指示を
出しました。
私の手からボールが右側の見方へと離れ、サインプレーが成功したかに見えたその瞬間でした。
相手チームのディフェンスが遅れ気味に、パスをした直後の私に体当たりタックルを仕掛けて
きたのです。

反則と紙一重のこのプレーによって左肩にかなりの違和感を覚えたのですが、そのままプレーを
続行し、次に私がパスを出そうとした時、左腕が痺れて動かないことに初めて気が付いたのです。
何とか片手でパスをしてその場をしのぎ、次にプレーが途切れた時にすかさずレフリーに待ったを
かけたのです。

ゲイリー、もう無理っ、交代させてっ。

心配そうに傍へ寄ってきた彼にそう告げ、レフリーの許可を得てフィールドの外へ出ました。
友人たちも心配そうに近づいてきたので、手伝ってもらってジャージを脱いだらなんと、左肩の一部が
陥没してるではないですか![ふらふら][たらーっ(汗)]
咄嗟に私はBに彼を連れて行った病院へ行って欲しいと頼み、チームメイトにその旨を伝てカピオラ二
公園を後にしたのでした。

勝手知ったる病院です(あまり嬉しくはないですが)。
幸い処置室が空いていたのですぐに診てもらえました。
レントゲン検査をしてから簡単に左腕をサポーターのような物で固定した後、ドクターの診断と説明を
聞きます。

怪我は〇△X骨折だね(実際の名は忘れました)。
今日のところはこれしか処置のしようがないんだけど・・・・・・・。

けど、何なんですか、ドクター。

君、これから将来結婚して、子供をもつんだよね?

だからどうだと言うのですか?

このまま後日、別の処置をして、治せなくもないようなんだけど・・・・・

けど?

生まれてくる子供に、『高い高い』、してやりたいだろ?
それが多分、このままだと・・・・・、 間違いなく出来なくなるね。

それじゃあ???

直ぐに手術した方がいいな。執刀は私がやるから。

[がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)][がく~(落胆した顔)][もうやだ~(悲しい顔)]

悪夢としか思えない!!
それ以外になんとこの状況を呼べばいいのだ!!!
もう直ぐ期末試験だというのに。いや、それより卒業はどうなる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

頭の中が真っ白になってから我に返るまで、どの位経ったのかはわかりませんが、気が付いたら
ドクターに『一日考えさせて欲しいと』、とお願いしてたようでした。

アパートに車ごと連れて帰ってもらってから直ぐに実家へ電話を入れ、事の顛末を母親に伝えました。

あんた、やっぱり厄年やったなぁ、今年。

最後の一言はこう締めくくられていました。


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ラストスパート [留学生日記]

[本] 1983年(亥)へと無事に年が明け、ついに最後の学期がスタートしました。 [本]
元々正月気分など無いアメリカでは以前にもお話したとおり、2日からはもう全てが始まります。
ですから、ただでさえ頭の切り替えは楽なのですが、今回はいつもと違て何か格別な気持ちの
高鳴りとでも言うのでしょうか、気合の入り方が尋常ではなかったような気がします。

普段の学期よりも少なめの教科選択となりましたが、手強い専攻科目ばかりの今回は、レポートの
発表や提出やらで振り回される事になりました。
少なくとも私が所属する学部では日本の大学で言うところの「卒論」というものは存在しません。
その代わりと言ってはなんですが、普段からよくレポートの提出を命ぜられました。

面倒だったのはそのレポートをきちんとタイプアップして提出しなければいけないので、アロハ
スタジアムのスワップミートで仕入れたBrotherの手動式タイプライターで、エッサコラエッサコラと
指を何度も攣りながらも打ち込む日々が続きました。
筆圧と同じように、タイプの打ち方の強弱次第でレポートの見栄えが違ってくる手動式は本当に大変
でした(少なくとも私にとってはです)。
その副産物と言ってはなんですが、同じ年代のオジサン達よりは数段早く入力(半ブラインドタッチで)
出来ていると思いますよ。

2月に入るとホノルルへはにわかにゴルフファンが集まってきます。

[ゴルフ] Hawaiian Open (現  Sony Open in Hawaii )の開催です  [映画]

[姉さん、大変です」にも登場したハワイ屈指の名門ホテルKahara Hotel & Resort (旧カハラ
ヒルトンホテル)がある名門 Waialae Country Club で毎年開催されていますが、この年は
特別だったのです。

最終日になるとその興奮は(特に日本人の)絶頂となり、ちょっとしたお祭り騒ぎへ発展!?
アメリカのPGAツアーにおいて日本人として初めて青木功が優勝をおさめたニュースは、瞬く間に
ハワイ中を駆け巡りました。
それも最終18番ホールでチップイン・イーグルを決めての優勝と言う事も、このニュースに花を添えて
いましたね。

たちまちワイキキのゴルフショップ(当時は結構ありました)のウィンドウには、青木の優勝を称える
ポスターが張り出されて、このチャンスを見逃すものかと言わんばかりに優勝記念セールなるものを
何処かしこで開催していました。
前の年のハリケーン・イヴァ同様、オットリしているようでハワイの人も商売人が多い!

受講教科の割には部屋で拘束される時間が長くなり、我がハワイ大ラグビー部の練習にも出たり
出なかったりしていましたが、週に一度のラジオはやはりニュースと天気予報があったので、これを
欠席することはさすがにできませんでした。
私自身もこれをやらないと、なんか一週間が始まらないという感じでしたし・・・・。 [ゲーム]

そう言う訳で、月曜日は少々眠い目を擦りながらの登校でしたが、大学のブックストアにぼちぼち
卒業式関連グッズに関する張り紙が出始める頃になると、ボケた頭も一瞬シャンとして

[ぴかぴか(新しい)]ああ、いよいよ俺も卒業できるんだぁ[ぴかぴか(新しい)]

なんて独り言を言うようになって、恐らくその場でかなり締まりの無い顔をしていたことでしょう。

卒業式(Commecement )の必需品と言えばあの黒のマントとタッセルの付いた四角い帽子です。
これはブックストアでレンタルできたので、事前に申し込みをしておけばオーケーです。
これとは別に当時はカレッジリングが流行っていて、自分の誕生石を入れた学部毎のリングがあって
業者のオッチャンがブックストアの一角で、結構いい商売をしていたみたいです。
値段が少々張ったので購入は諦めましたが、今となっては失敗したなとちょっと後悔してます。

こうしてだんだんと日増しに、私を含めた卒業予定者並びに修士・博士課程修了予定者のマインドは
graduation モードへと突入して行きました。

しかし、その前に私には期末試験、いや、本当の意味での Final Examination が待ち受けて
いましたので、にやけた顔を今一度ここで、引き締めなければいけません。

 


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秋の夜長の訪問者 [留学生日記]

外気の温度差があるわけでもなく、虫の音が聞こえて来るでもなく、日照時間だけが段々と短くは
なって来るそんなハワイなんですが、やっぱり感謝祭が近付き12月の声も聞こえてくるとさすがに
常夏と言えども秋を感じずにはいられません。

講義が午前中で全て終わってしまうので、一日の内で特に日が落ちてから寝るまでの時間が非常に
長く感じられました。
そんなある晩、道路に面した机に向かって勉学に勤しんでいると、何やら蚊の鳴く様な人の声が
下の方から聞こえたような気がしました。
気のせいかと思って教科書へ目を戻すとやっぱり聞こえ、今度は自分の名前が呼ばれてる事に
気付いたので、ジャロジーを全開にして外を覗いてみると、友人Bがそこに突っ立っていました。

  どうしたん? 
  バイクでこけた。 右肩上がらん。

急いで下まで降りて行くと、今にも死にそうな顔をしたBが愛車のそばで苦しそうしていました。
聞けば、タンタラスの丘へ気晴らしに出掛けた帰りに、カーブを曲がり切れず転倒したとのこと。
気が動転していて、とにかくCB850の巨体をかろうじて起こし、私のアパートまでやっとの思いで
運転して来たと言うのです(脱帽![がく~(落胆した顔)])。

怪我の具合も解らなかったのでバイクを安全な場所へと移動させ、彼を部屋へと連れて来ました。
灯りの下で改めて見てみると、あっちこっちに擦過傷を負っていて、極めつけは右の鎖骨がどうやら
折れているというのが、素人の私にもわかりました(両肩負傷済みの私です[もうやだ~(悲しい顔)])。

アメリカでは救急車の出動要請は有料ですから、取り急ぎ私の車で救急病院へ連れて行くことに
しました。[病院]
どうやってこの病院が分ったのかは覚えていませんが、ダウンタウンにある大きな総合病院でした。
検査と治療の間中ERの外ですっと待っていたんですが、何処の国も救急外来は引っ切り無しだと
実感しました。

どうやら手術はせずに治ると言う事でBも一安心したのか、ようやく顔に赤味が差して来た様でした。
夕食が未だだと言うのでMacでドライブスルーして、彼のアパートの部屋まで送り届けやれやれ。
暫くの間は大人しくしているよう諭し、何かあったらすぐに連絡するよう言ってアパートへ戻りました。
ふと時計を見れば日付がとっくに変わっており、翌朝7時からの講義に備えベッドへと直行でした。
本当に長かった一日がようやく終わりました。

友人Bの戦線離脱によってラジオの方もちょっと忙しくなってきました(『年男=当たり年』参照)。
特に月曜の朝も8時からの講義が控えていた
ので、本番終了後の反省会まで含めてしまうと完全に
真夜中のモード突入です。反対に一日は48時間有る様な錯覚にも陥りますが...。

そんな時にまこと有り難かったのは、時々リスナーの方からのスタジオへの差し入れでした。
中でもこれぞと言うのが、あの『ファイト~、一発』でお馴染みの栄養ドリンク剤でしたね。
夜更かし学生の我々にはピッタリで、わざわざハワイの責任者の方が持って来てくれたのをよく
億えています。
局のスポンサーだったかどうかは忘れましたが、この商品が我々の手に渡った瞬間から、いわゆる
タイアップ広告と発展していくわけですから、この辺の費用対効果の予測もバッチリと考えられて
いたのでしょうかね!? 
その他スウィーツやら夜食やらでほんと、助かりましたわ。[わーい(嬉しい顔)]

もうすぐ感謝祭だというのに、ハワイはとんでもない招かざる訪問者に頭を痛めることになります。

  [雷] ハリケーン・イヴァの来襲!! [台風]

ハワイ全島にその猛烈な暴風雨で襲い掛かり、私たちの日常生活を1週間に亘ってズタズタにした
超大型台風です。
1959年以降では初めてハワイを直撃したカテゴリー3以上のメジャー・ハリケーン(この10年後の
1992年にもハリケーン・イニキが直撃している)で、それはそれは全島民が恐怖へと陥れられた
恐ろしいハリケーンでした。

ハワイ全島で電気・水道などのライフラインが寸断され、せっかくのHome coming season も
まったく台無しとなり、ろうそくの灯と共に自宅待機を余儀なくされたのでした。
幸い私の部屋は3階だったので、エレベーターの影響は受けなかったのですが、友人Bは高層階に
住んでいたので、怪我と合わせてダブルパンチを喰らっていました。

食料も底をつきかけた頃にやっと、全てが機能し始めてホッと胸をなでおろすことが出来ましたが
準備も出来なかった大勢の観光客がこの惨事で一番割を喰ったのではなかったでしょうか。
そんな観光客目当てではないのでしょうが、ハリケーンが去った数日後にはもうワイキキで、今回の
災害をモチーフにしてプリントされたTシャツが売られていたのには驚きました。

We survived in Hurricane Iwa

確か、こうプリントされていたと思います。

ハリケーン・イヴァが残した災害の傷跡は大きかったですが、私にとってはハワイ、いや、アメリカ
での最後のクリスマスがもう直ぐそこまでやって来ていました。


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Summer & Fall Terms [留学生日記]

未だ残雪をたたえたロッキー山脈から再び常夏の楽園へ戻った私は、こんなに自分のアパートが
懐かしくかつ、愛おしく思えたことはなかったでしょう。
自分のベッドが黄金色に輝いて見え、どんな高級なホテルのスウィートルームをもってしても、この
瞬間の我が家に勝るものはなかった筈です。
ドッと疲れが押し寄せて来たと思ったら、荷物の片付けもそこそこにどうやらそのベッドへと直行
してしまったようです。

人間、上を見たらキリが無いとよく言いますが、一度見てしまったらなかなか下へは降りて戻れない
ものです。
自分の意志ではなかなかそうは出来ないとしても、今回の遠征体験のように半ばと言うよりかは
ほぼ、強制的にいつもとは明らかに違った(過酷な)環境へわが身を委ねられると、必然的に現状を
客観視することができて、蓄積されたストレスやフラストレーションなどと言う類は、綺麗さっぱりと
洗い流されてしまうのかも知れません。

そんなある意味、貴重な体験ができただけでも今回の遠征に参加した甲斐があったようでした。
この事は後に私が就職面接に於いて、圧迫面接を受けた際の切り替えし飛び道具として使用し
見事成功(と思う)へと自らを導いた事実へと繋がって行くのでした。

人が夏休みを謳歌している最中に自分だけせっせと勉強に励む、これもある意味では先程の自らを
過酷な状況へ追い込むと言う事に値するのではないでしょうか。
特に私の場合、後期の夏期講習を取ったので、実質的にはここから9月の新学期が既に始まる
と言う事になり、その後12月までみっちりと勉強モードをキープして行かなければいけません。

常夏という気候は着るものに気を遣わなくていい反面、コロラドのように気温の変化というものが
ないせいか、なんと言うか身の引き締まる思いをすることが無い分、集中力を高めるのにはとにかく
苦労してしまいます。
やはりハワイという場所は心も体も全て解き放って、本当にリラックスする天国なのだと実感です。

そんな思いの私を神様は見過ごさなかったのでしょう。
新学期の授業を申し込む段となりスケジュール表に目をやると、私が受講しなければいけない
科目の内の2教科が早朝のスタートだったのでした。

月水金の8時スタートはノープロブレムでしたが、火木の7時スタートはやはり引いてしまいます。
でもノーチョイスですから従うしかありませんので、他の教科も時間を合わせることにして講義は全て
午前中に終了というスケジューリングをしたのです。

早起きは勿論必要でしたが、これがなかなかツボにハマりまして、一日がとても長く感じられて
何だか得をした様なと言うか、有意義になったと言うか、結果全てオーライだったのでした。
早起きは三文の徳。
ハワイの早朝には特に気持ちのとても良い空間が広がっています。

そんなワンシーンを表現した美しいハワインアン、" E Ku'u Morning Dew " は未だに私が口遊む
歌のレパートリーに入っているのはたぶん、このせいだと思います。

 


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トンガンをスキーへ連れてったら [留学生日記]

これを奇跡と呼ぶのだろうか。
ちょっと大げさすぎましたが、後半は7人制の大会で、我々ハワイ大は惜しくも準優勝という結果と
なりました。上出来だと思います。
7人制未経験の私を、いいからみんなのマネをして、支持は外から出すからさあ行って来いと言う
ゲイリーのなんとご無体な仕打ちでしょうか。

大会日程も全て終了し、ボルダー滞在もあと残り少なくなった事もあり、マリーの厚意で希望者を
最寄りのスキー場(時節柄ゲレンデは既にクローズ)へ連れて行ってくれることになりました。 [スキー]
希望者を募ったところ、トンガンチームから5名、白人チームから3名、そして私の計9名が参加する
ことになり、早速、マリーの知り合いのスキーレンタルショップへと向いました。

内陸地に生まれ住んで一度も海を見た事がない人がいるのと同様、生まれてこのかた雪を見た事の
ないトンガンとフィジアンジョンはかなり興奮気味でした。
しかし、トンガン全員参加と思いきや、雪は見たいけど寒いのはいや、スキーは怖そう、と残念ながら
少数参加という
結果になってしまいました。

後半日程の寝床としていたコロラド大のとある学生寮のリビングルーム(マリーが学校と交渉してくれ
ここならオーケーが出ました)に居残り組のトンガンを置いて一路ここから1時間程離れたスキー場へ
(距離からしてたぶんエルドラマウンテン・スキー場)2組に分かれて出発です。

6月と言うのにまだ積雪はたっぷりとあって、標高が上がる度にその深さも増して行きます。
途中、もう我慢出来ないとばかりにフィジアンジョンが、停車のリクエストを出しました。
私はてっきりあっちの方かと思っていたのですが、降りるや否や雪の方へまっしぐらに走って行き
両手で雪をひとすくいすると、何とも言えない嬉しそうな表情を浮かべ、そして後からついて来た私に
こう言いました。

   これが雪なんだね。[雪][わーい(嬉しい顔)]

この貴重な初体験が出来ただけでもフィジアンジョンは今回の遠征に参加した甲斐があったと
言うものです。
雪の中へダイブして見せたり、お決まりのミニ雪合戦になったりと、彼と雪の写真を何枚映した
ことでしょうか。

もっと楽しいスキーへ急ごうとマリーの催促で、やっとフィジアンジョンは車へ戻り、既にクローズと
なっていたゲレンデ下へと移動。
この中でスキー経験者はニューヨークマイクと私だけで、この私とて高校以来ですからほぼ初級者。
メリーからキャプテンジョンを通じてギアの扱い方をもう一度教わり、準備体操そこそこにまずスキーを
担いで適当な場所へハイクアップします。

慣れないスキーブーツにトンガン達は悪戦苦闘してましたが、マイクの指示でこの辺からと少し平らに
なった場所でスキーを履きます。
いよいよ生まれて初めてのスキー体験の始まりです。
時間の関係で初心者向けの講義は割愛され、いきなりボーゲンで滑って見ろとスパルタマイクの
号令を待たずして、褐色のアフロ軍団は緩いスロープへと強制的に弾き出されて行きました。

転ぶ度にキャッキャ、キャッキャと悲鳴にも似た声を上げながら何往復かしたところ、リーダーのラオが
ボーゲンスタイルで直下り始めたのには、さすがの運動神経と皆をうならせました。
その内、うまく滑れずカンシャクを起してスキーを外してしまい、雪遊びに興じる者もいましたが
いつものケラケラ笑いが飛び出し始めて普段のトンガンに戻り、初めての雪遊びを堪能していました。
ここに記者がいたら間違いなく、ローカルニュースにはなっていたでしょう。

2週間に及ぶボルダー滞在も終了して、世話になった人たちの見送りを受けてデンバー国際空港へと
例の行きと同じスクールバスで出発です。
別れ際に何故だかはわかりませんが、女子高生のスージーから思わぬハグをされて、一瞬、顔を
赤らめたのをよく覚えています。 [ぴかぴか(新しい)]そうそう、罪悪感と共に...。 [あせあせ(飛び散る汗)]
案の定、周りに居たトンガン達にはキャッキャ、キャッキャと冷やかされる始末です。

空港ではキャプテンジョンとマリーの濃厚な別れの儀式を尻目に、我々はトットとチェックインを済ませ
ゲートへと移動し、ベンチへ腰をドスンと落とした瞬間にドッと疲れが襲って来ました。
さすがのトンガン達も積み重なった疲労には勝てず、サンフランシスコまでのフライトは嘘みたいに
静かで、さぞやCAさんたちも助かったことでしょう。

サンフランシスコでみんなと別れ、そのままホノルル行きへと乗換えての一人旅です。
迷った甲斐あってこの二週間は大変貴重な体験ができ、様々な出来事が自然とフラッシュバックして
一人思ひ出し笑いしていたような気がします。
翌々日からは夏期講習が待っていました。今は一分でも早くベッドで寝たい。
なぜか寝てるのにベッドの夢を見てしまった私でした。

6話の長きに亘りお付き合いいただき、有難うございました。

劇終


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難局大陸 [留学生日記]

丸々、盛々のトンガン定食にはついに5食目にして、我々白人・日本人連合がギブアップを宣言して
しまいまいました。
次の大会への移動日と休息日と言う事で、1日半のフリータイムができたのにかこつけ、夕食は
何処かテーブルとイスがあって、フォークとナイフで食べれる処であれば文句は無いという状態だった
ので、決勝観戦の後、街の中心部へ繰り出そうと言う事になりました。

ゲイリー・キャプテンジョン・マイクは例のコロラドお嬢さんたちと一緒に何処かへ行くらしく、一応
声は掛かったのですが遠慮しておきました。
フィジアン・ジョンと私が、じゃあ二人でどっか行こうかと相談を始めたところ、どうやら一人、足抜け
したそうなトンガンのキリが近寄って来て、自分も一緒に連れてけ、みたいなジェスチャーをするもの
ですから、じゃあ3人で行くわとラオに断わって、出かけることになりました。

デニスの厚意で、セカンドカーの年代物オールズ・モービルのピックアップトラック(なんとボンネットが
丸い、3人乗りキーレスカー)を使わせて貰う事になり、早速それに乗り込み繰り出しました。[車(RV)]
まだ夕食には時間もあったので、デニスに教えて貰った数少ないこの辺りの名所旧跡を手っ取り早く
回ることにして、町へ向かうルートを辿りました。

あいにく天候は霧雨に変わり、気温も随分と下がって来たところで、そろそろディナーにしますかと
立ち止まったのが地場のハンバーガー屋さんの前でした。[ふらふら]
結局また肉なんですが、ファストフード店ではなかったので、皿に乗ったハンバーガーが出てきます。
それに嬉しい事に、フィッシュバーガーもあるではありませんか![揺れるハート]
キリもハンバーガーだったら大丈夫と言うので、いざ入店。

オッド・カップルならぬオッド・トリオです。
一瞬店の中の客の視線がすべて我々へと向けられましたが、すぐに元の状態へと復帰しました。
なんか、映画でよくあるシーンですよね。これって。

ビールなんかよりサラダが食べたい! 普段はあまり飲まないコーラが飲みたい!
たいたい尽くしを全部平らげ、これほど野菜が美味しいものかと改めて実感したところで、家路に
着くことに。
運転はなぜか始終私で、ハンドル側でのマニュアル車ですが問題なかったので引き受けていました。

ここからデニス家まではざっと10キロくらいでしょうか。
町を出て直ぐに真っ暗となった道をチンタラ(スピードが出ない!)走って1/3程の所に来た時でした。

ぷす~ぅ。ぷすっ。

と言うよういやな音がしてエンジンが停止。
スウィッチを何回まわしても、全くウンともスンとも言いません。

まっ、まさかガス欠!?

かと、頭の中をいやな予感が過ぎったと同時に申し訳程度に付いていた燃料計を見たら、なんと
ひとメモリ以上残ってるではないですか!
電気系統か? いや、セルは回ってるからそんなことは無いとフィジアンジョンは言います。
とにかく公衆電話を探してデニスに連絡しなければ。
でも、デニスも出かけてるはずだから、家には居ない。家に居るのはトンガン達だけ。

同じ道を戻っていたので、フィジアンジョンも私もそこに公衆電話なんてないのは、百も承知でした。

仕方ない、歩いて町まで戻ってそこからダメ元でデニスに電話してみよう。

肌寒い小雨の中、三人で車を道路の脇へ押して移動させ、トコトコ今来た道を戻って行きました。

キリはきっと足抜けして来た事を後悔してるんだろうなあ、きっと。

一時間くらいは歩いたでしょうか、ようやく町の明かりが見えて一番最初にわれわれの目に入った
のが、ガソリンスタンドでした。
ジョンが早速公衆電話を探し当てて受話器を取りデニスにかけたが、やはりまだ帰ってません。
スタンドのスタッフに事情を説明したところ、たぶんガス欠だよと言うのでそれを信じて10リットルだけ
タンクと一緒に購入。ああ、大出費!

3人で交互にタンクを持ち合いながらまたも雨の中を車まで戻り、さてキャップを開けてガソリン注入
と行きたいところが開かない。
キャップをよ~く見てみると・・・・・・、かっ、鍵が付いているではないですか [ちっ(怒った顔)][ちっ(怒った顔)]

キーレスの車が、タンクのキャップはキーウィズかっ!! そんなバカな!

ぶっ壊すしかない。と口に出すまでもなく三人は既に社内で使えそうな道具を探していました。
小一時間の格闘の末、キャップを壊して開けガソリンを注入。

かかってくれよ。

祈るような気持ちでスウィッチを回すこと二、三回。ブルブルッと鈍い音がしてエンジンはスタート
したのです。
やれやれ、二試合分くらいの体力と気力を消耗し憔悴し切って3人とも無言のまま家路へ。

時間も時間、家の中へ入ったらみんな戻っていて、われわれを見るや否やどうしたのかと言う表情で
お出迎えです。
どうもこうもありませんと事の顛末を説明して、デニスにタンクの鍵を壊してしまったことを誤まると
逆にデニスが大変申し訳ないという顔をして一言、

悪い悪いっ、燃料系が壊れてるの、伝えなかったヨ。 鍵、気にしないでっ!!


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丸々、盛々 [留学生日記]

[演劇] [3][2][1]・・・15人制コロラド・ボルダーラグビートーナメント大会の開幕です。[演劇]
対戦相手はいきなり地元ボルダーのチームで、全くのアウェー試合です。
その分観客もかなり多く、これは一つ打ち負かせばハワイ大の名も益々轟くかな!?

本題へ入る前に、あまりに今回のワールドカップ・ニュージーランド大会の日本における認知度が
低かったので、本来ならば、力のこもる試合風景をここで描写していきたいところなのですが
本ブログでは残念ですが、割愛させていただきます。
その代わりと言っては何なんですが、来る2019年日本大会へ向けて少しでもラグビーの認知度が
みなさんの間で上がって行きますよう、ユーモアとペーソスをもってラグビーと言う言葉に関連付け
みなさんの海馬に植え込ませていただく所存です。
                                     フレー、フレー、ラグビー [わーい(嬉しい顔)]

ところで、ハワイ大チームがボルダーでその人気を博したのには、もう一つ理由があります。

ハカと言うのをご存知でしょうか?
ニュージーランドのマオリ族がその昔、戦いの前に相手を威嚇するために雄叫び踊った、いわゆる
War Cry です(マオリのは舌をベロっと出したり引っ込めたりもします)。
ニュージーランド代表のオールブラックスが、試合前に行う儀式として世界的に有名になり、今では
ポリネシアンの国々の代表チームへも伝播しています。

多聞に漏れず、トンガへもこのハカは受け継がれたので、我がハワイ大チームにもちゃんと2パターン
ありました(白人チーム用とポリネシアンチーム用)。
恐らくボルダーの人々はこのハカを初めて目にしたのではないでしょうか。
ですから、初戦の前の、しかも地元チーム相手となれば、我々のハカにも一層力がこもります。
お客さんの喜んだこと喜んだこと。

HAKA-NZ wine.jpg
 たまたまワインショップで見つけました。Wカップ記念限定?
 ソヴェニヨン・ブランの白です。

 

大方の下馬評を覆して、我がチームは軽く?ボルダーチームをひねってやりました。
実はそれよりもっと驚いたのは我々自身で、なんとすっかりと言っていいほど我々の体がこの高地に
順応していたのです。何と言う強靭さ。[爆弾]
この後も快進撃を続けて行くのですが、4日目の準決勝で残念ながら敗退してしまいました。
でも、この驚異の順応性に
はひょっとすると、我々の食生活が関係していたのかも知れません。

チームのメジョリティーは何と言ってもトンガン達ですから、日々の食事についてマイノリティーである
我々白人と日本人がトンガン様式を受け入れる事になります。
元々まったく違った食文化ですから、合わせやすい方から妥協すると言うのが常套でしょう。

彼らの食事は大変ボリュームが有りますがとてもシンプルです。
ここで是非、我々の夕げのレシピ―と風景をご紹介したいしたいと思います。
題して、「ボルダー、ウルルン滞在記‐Tofuがトンガン達と、めし喰った~ぁ(下條風に)」。

  • 肉の塊 丸々 数㎏ 数塊
  • ジャガイモ 山盛り 数十個
  • 水 たっぷり
  • 塩・マヨネーズ・ケチャップ パッケージのまま 数本ずつ
  • 新聞紙 沢山
  1. 寸胴鍋にたっぷりと水を入れ沸騰させる。
  2. 沸騰したら肉とジャガイモを入れ、ひたすら茹でる。
  3. 茹で上がるまで手持無沙汰の者は、床に新聞紙を敷き詰めて各自スペースを確保する
  4. 程なく回って来る、塩・マヨネーズ・ケチャップを好みで自分の前の新聞紙の上に『出す』

そうこうする内に肉とジャガイモが茹で上がって来て、いくつかのブロックに分けられみんなの前に
丸々塊の肉を手で引きちぎって小分けし、ジャガイモは湯切りして数カ所に山盛り積み上げます。
ナイフ・フォークなんて使いませんよ。すべてワイルドに手で行っちゃいますよ。
肉もジャガイモもイマイチ手が届き難かったら、その前に陣取っている者に『パス』して貰えば
いいのです。

最初はさすがドン引きしてしまいましたが、2日目から私も立派なトンガンでした。
家主のデニスも最初この光景を見た時は、言いようもない顔をして驚いでいましたが、リーダーの
ラオに夕げの輪に引きずり込まれて、初日だけは付き合ってくれました。
これを毎日毎晩欠かさずやるわけですが、野菜不足をどうやって補ったんでしょうか?

準決勝で負けた日の夜の新聞紙上は、いつになく大きな塊で賑わっていました。
差し入れのビールもシコタマあって、夕げはいつしか宴に変わっていき、トンガン達があの綺麗な
ハーモニーで自国の歌を何曲か披露してくれました。みんなハモレるんですよ。
誰かが私に、Tofuも日本の歌を歌ってくれとリクエストしたので、彼らにも分り易そうな「さくら」を
披露し、アンコールはナショナル・アンサム 「君が代」で締めました。
こんな歌がもしあったら、絶対に教えてたでしょうね。
では皆さんもご一緒にどうぞ!!

[るんるん][るんるん]
    丸々、盛々 ぜんぶたべるよ
    クチャクチャ モゴモゴ ( ゲホッ ) あしたも 勝てるかな~ぁ
                                         [るんるん][るんるん]

                                                 結構荒れ始めたデニス家のリビングにて


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ソレが薄くなりまして・・・ [留学生日記]

いくらアメリカでは、標準的な家でも日本と比べるとかなり広いと言っても、さすがに我々全員を収容
すれば、間違いなく足の踏み場も無くなるのは当然です。
しかも確かトイレは2つと、普通の家族にしてみれば充分ですが、当時の我々にとってはそれこそ
◯男X女、大家族特集みたいな感じでした。

さてここ、ボルダーではトイレとシャワーの他に、絶対に足りないものがもう一つありました。

そうです、O2 酸素なんです。 酸素が薄いんです!!

少々動くだけでも、いつもと違って息が上がって来てしまうのです。
おまけに朝ともなると色んな争奪戦へも加わらなければいけないし。
ただ、以外にも拍子抜けしてしまったのは、この家の人口密度を上げているトンガン達の生活様式が
私をはじめ他の白人メンバーとも極端に違っていたことが幸いして、お互いに被る時間帯と場所が
そう多くは無かったのでした。
特に朝寝坊な彼らとは、時間差生活を思う存分に屈指することができました。

朝食に何を食べたのかなんて一切覚えていないんで、恐らく何も食べなかったのでしょう。
翌日から始まる大会の為にボルダー2日目のこの日は、午前中から試合会場を使った高地順応の
練習でした。って言うか、1日で順応なんか出来るわけがない![ふらふら]
ましてや、ただでさえ運動量の多いラグビーなのに。

ゾロゾロとデニス家から出て来る我々を発見したご近所さんは、恐らくトンガンを見るのが初めて
だったのでしょうか、得意の愛想笑いと共に、かなりの好奇心を含んだ眼差しを向けて来るのでした。
しかし、日本人の私はたぶん中国人と間違われていたのでしょうから、彼らにとっては何も珍しくは
無かったはずです。

ゼィゼィと息が上がりっ放しの全体練習を早めに切り上げた私たちは、完全なアウェー状態でした。
この調子じゃあ一回戦の突破も難しいと、チームの誰もが思っていたでしょう。
さすがの我れがトンガン達も、この状況には参りましたと言う感じでした。
完全に地元チームにアドバンテージ有です。
もし、奇跡的に我々が勝ち進んで行くような事になれば、きっと心臓に毛が生えて来るんですよ。[演劇]

家へ戻って軽く着替えを済ませた後、一同は今大会のレセプション・セレモニー会場へと向います。
地元の劇場みたいなところに参加チームをはじめ、協会関係者、ボランティアの大会運営サポーター
そして今度は本物の地元メディアの人達と、たいそう賑やかなレセプションとなりました。

チーム毎にステージへ上げられて紹介されるわけですが、我々は遠路遥々ハワイからやって来たと
言う事で、ひときわ歓迎されていたようです。
人種が混在しているチームはハワイ大チームだけだったので、珍しいもの見たさなのか、私たちの
ところへ大勢の人が話し掛けてきました。
傍ではゲイリーが得意げにメディアからのインタビューを受けてたようです。[カメラ]
例のポロシャツをチャッカリ着て。

その訪問客の中に大会期間中、我々のサポートをしてくれると言うコロラド大と地元高校の女子学生
も含まれていました。 [わーい(嬉しい顔)] [ぴかぴか(新しい)]
二人の名前は失念してしまいましたが、この後も登場してもらうので大学生のお姉さんの方をマリー
女子高生をスージーとしておきましょうか(でも、たぶんこれで合ってると思います)。

どういう基準でうら若き乙女達が、しかも我々の様なビーストの担当になったのか、はたまた
チャッカリとキャプテンのジョンかニューヨーク・マイクあたりが、旨いこと言って強引に連れてきたのか
(ナンパやん!)は分りませんが、後日談でどうやら後者の方だったらしいです。
トンガン達も、生コロラド娘を目の当たりにしてさぞや、鼻の下が伸びきっているのではと視線を送った
ところ、以外にも我ら関せずという表情で例の如く、美味しそうにビールを飲みながら何やらケラケラと
楽しそうに笑いながら喋っていました。[目]
逆に私が彼らにからかわれる羽目になってしまいました。

気圧が多少低いせいもあってか、アルコールのまわりも下界よりは早く、ここボルダーでは実に
経済的に酔うことが出来るのでした。
不思議な事に、飲むという行為ではさすが、息は上がって来ませんね。
上がったのはみんなのテンションだったようです。

明日からはいよいよ16チームが、トーナメント形式で熱い戦いを繰り広げます。
勝ち進めば毎日試合が行われると言う、ハードスケジュールが待っていました。[パンチ][パンチ][パンチ]

                                                                                     酸欠ボルダー高地の夜は更けて

さらに続きます


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プレス記者会見??? [留学生日記]

懐かしのサンフランシスコ国際空港国内線ターミナルに、降り立ったハワイ大ラグビー部御一行様は
少々おぼつかない足取りで、次のデンバー行乗継便出発ゲートへと向かいました。
その途中、着陸を待ち切れずにいた面々は、我先にとトイレへ猛然とダッシュし、何とも言えない
解放感に浸るのでした。 [駐車場]

あっちこっちへと散らばってしまった羊たち、いや、トンガン達を比較的素面なマイクと私がしんがりを
勤めて、ゲートへと追い込み連れて行きます。
万が一にもここで、一人でも取りこぼしたものなら、結構大変な事になってしまうので、酔いも一瞬で
醒めてしまうくらい頑張ってしまいました。[ダッシュ(走り出すさま)][あせあせ(飛び散る汗)]

なんとか無事に全員乗り込んだであろうデンバー行の機内は、ホノルルからのフライトにも増して
その座席空間は余裕たっぷりで、ゲイリーもジョンもみんなを確認するには骨とならないようでした。
今度は2時間ばかりのフライトです。
ただし、1時間デンバーとは時差があるので時計は進みます。 [時計]

テイクオフから水平飛行へと移ってシートベルトサインが消えた途端、例によってCAとトンガン達の
コントが始まり、さしずめ先程のフラッシュバックの様相です(CAさんもノリが良いわ)。
そんな中、ゲイリーが私のところへやって来て何やらこう言うのでした。[耳]

トフ、お前さん、ラグビー部のお揃いのポロシャツまだ持ってないだろう?
(そんなもん、あったか!? だいいち、誰も着てないじゃあないかぁ)
デンバー空港では地元メディアが我々を取材しに来るそうだから、皆、お揃いのポロシャツを着て
出て行こうと思うんだ。だからお前さんも一枚どうョ。今なら一枚$25にしとくからさぁ。[どんっ(衝撃)]
(高っ! でも、プレスが来るんだったら仕方ないか。自分だけ違う服だとまずいしなぁ)

まんまとゲイリーの口車に乗せられ、恐らく倍以上もぼったくられた自分が馬鹿だった。 [ちっ(怒った顔)]
しかし、チームメイトからぼったくるかぁ!!
悔しいから機内でそのポロシャツに着替えて、間もなくの着陸に備えてると、一人また一人と着替え
始めたので、まんざら取材は嘘でもないのかと、少しは気分もよくなって辺りを見回すと、トンガン達は
そのままで、着替えたのは白人組と私だけでした。 何だかよう分らんワイ [ふらふら]

デンバー国際空港で私たちを出迎えてくれたのは勿論、プレスではなく、ゲイリーの友人で今回の
遠征の前半で、我々の世話をしてくれるデニスと彼のチームメイトでした。
ターミナルから外へ出ると、すっかり日が落ちてしまったデンバーの夜は夏でも涼しく感じられ
仕入れたての$25の半袖は少々肌寒かったです(これがホントの身に染みると言うやつですね)。

お迎えはデラックスコーチまでは期待していなかったものの、まさかあの、黄色のスクールバス
来るとは思いもよらなかったです。
トンガンとスクールバス、格好の取材ネタだったじゃあないですかねぇ、まったく。

空港からボルダーまでは2時間以上、いやいや、このキャリアだと3時間は有にかかるでしょう。
しかし、ゲイリーの友人もかなりできた人で、長旅を見込んでか社内にはちゃんと我々の大好物が
用意されていました。 
これがホントのウェルカム・ドリンクです。[ビール][わーい(嬉しい顔)]

言うまでもなく、途中、度重なるトイレ休憩を挟んだので、もっと掛かったのではないでしょうか。[駐車場]

バスの中で、と言うよりかは、ホノルルを出てから最後まで私の懸念材料だった、肝心の宿泊場所は
どうやらデニスの家らしいと分かったのが、我々を乗せたスクールバスがとある住宅地へと入って行き
その中の一軒の家の前で停車した時でした。

やれやれ、どうやら野宿もスタジアムの屋根の下も、再現されずに済んだか!?

住宅地にスクールバス。朝の光景ならば、なんの違和感もありませんが、こんな夜に、しかも
アフロヘアのデッカイお兄さんたちが、たくさん降り立って来るところを目撃されたなら、これは結構
ローカルなニュースになっていたでしょうね。
どっちみち、明日の朝になればちょっとした騒動になるのでしょうけども.......。

                                               夜のとばりのボルダーのとある住宅街にて

まだまだ続きます。


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