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Thanks Giving Day から年の瀬へ [留学生日記・後日談]

  ハロウィンとは比較にならないほど日本では知られていないアメリカの『感謝祭』が、夫婦の
日と同じ11月22日。『動』のハロウィンなら感謝祭は『静』です。

アメリカでは11月の第四木曜日が感謝祭の祝祭日で、必然的に少なくとも三連休の感謝祭
ホリデーとなります。普段は離れ離れになっている家族が一同に会し、七面鳥を食べるのです。
イギリスからの移民が収穫を神に感謝したところから始まったので、パティーというよりも静かに
そして厳かに七面鳥を頂きます。

七面鳥はもちろん一羽丸ごとローストするわけですが、空っぽになった内側にはお尻の方から
パンを使った詰め物(スタッフィング)を入れて一緒に焼きます。この詰め物は家庭によって秘伝
ものがあるようで、皿に盛り付ける時のガロの役目をします。ローストした時の肉汁を使って
グレイビーソースを作り、お肉にかけて食べます。この時一緒にクランベリーソースをつけたりも
します。そうですね、フレンチの鴨肉とオレンジソースのようなものです。

七面鳥自体、かなり淡白でパサパサしているので、ここはやはりワインが欲しいところですね。
ですから、そんなに沢山食べれるわけでは無いので、当然このお肉は残ってしまいます。
するとどうなるかというと、翌日のランチになるのですね。そうです、ターキー・サンドイッチです。
そして夜は夜でターキー・サラダです。下手をすると三日連ちゃんで七面鳥ということにもなって、
ボーリングじゃあないですが、これが本当の『ターキー』だなんて、いったい誰が言ったのでしょう?


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  昼間のクリスマスツリー  軽井沢トンボの湯にて


さて、この感謝祭ウィークエンドが終わるとアメリカではいよいよクリスマスモードへと、一挙に
突入していきます。感謝祭の直ぐあとの金曜日はいわゆる『ブラック・フライデー』と呼ばれて、
クリスマス商戦の始まりです。ラジオやショッピングセンターから聞こえてくるBGMもクリスマス
一色となります。

アメリカ人にとって一年で最もお金を使う時がやってきます。全米は勿論のこと、世界中に散ら
ばっている家族がこの時ばかりは両親の待つ実家へと沢山のプレゼントを抱え帰ってくる一大
イベントなのですね。

日本で言うところの大晦日からお正月ですが、現在のこの伝統的風物詩はアメリカとは比べもの
にならないくらい、短小軽薄となってしまったのは残念でなりません。元旦からデパートが営業する
現代とは違って、早くお年玉を使いたくてウズウズしていた正月三が日のあの、のほほんとした
時間を今の子供たちは味わうことが出来ないのですね。

さあ、今年もあと一ヶ月とちょっと、ラストスパートをかけてまいりましょう。


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 軽井沢プリンスホテル東館よりアウトレット、離山、そして浅間山を望む


暗くなるまで待って [留学生日記・後日談]

  そんな題名のフレデリック・ノット原作、オードリー・ヘップバーン主演のサスペンス
映画がありましたが、私のは金曜日のビア・パーティーの話です。

ほぼ毎週木曜日、会社の近くまで用事でやって来る家内の車に便乗して帰宅します。
その家内が待つ車までの経路にあたるビルのロビーで、同じくテナント入居している
外資系企業の人が2名、何やら立ち話をしていました。何気なく彼らの手元を見ると
そこには『Yebisu』 の文字が、しかも長い方。

そんな彼等の姿を見たからか、車に乗り込むやいなや、家内にそのことを報告しながら
家路につくのでした。

大学時代の寮生活中、日常茶飯事として夕刻の廊下でよく目にした光景から、金曜日に
開かれるコンセプト付パーティーの話にまで及んで、私が『トーガ・パーティー』の事を話し
始めると、『トーガ・パーティー』って何?ときました。夫のブログはちゃんと読めや、と
言わんばかりにざっと解説をしてやりますと、結構受けたみたい。

それで今一度留学生日記の一覧を見てみると、このパーティーの話、なんとコンセプト①で
終わってるじゃあないですか。もっとも週末T・G・I・Fが何回もあって、そのすべてと言って
いいほどバカ騒ぎだった事を想い出すと、かなり特筆し難い事が分りました。

パーティーには必ずと言っていいほど『・・・・・night 』とお題が付き、これを私はただ
仰々しく『コンセプト』と呼ぶのでした。その主な催しは以下の通りです。

  1. Disco Night    学生会館挙げての盛大なダンス・パーティー
                 ちゃんとミラーボールをぶら下げ、その下でみんなでステップ
  2. Casino Night   これも学生会館でラスベガスのカジノを再現、ただし模擬チップで。
                 ちょっと太めのバニーちゃんがお酒をサーブしてくれます。
  3. Mr.Ladys & Miss Gentlemen
                          読んで字の如く、男女ペアを組んで入れ替わりの仮装パーティー。
                 勿論化粧もバッチリ有です。
  4. Greek Night    トーガ・パーティーの正式名称です。
                  ベッドシーツの即席トーガにビルケンシュトックのサンダル、そして
                 裏山の木の葉で作った冠。私はハワイのビーサン。
  5. Country Night  カントリーウェスタンの曲に合わせてフォークダンスを踊る
                 バック・トゥー・ザ・フューチャー3のあの場面みたいな感じです。
                 目の前で弾けるLizちゃんの爆乳は今でも新鮮な記憶であります。

っとまあ、ちょっと思い浮かべただけでもこんな感じでリコールされて来るのですよね。
夏は勿論日が長く、パーティーが始まっても外は未だ明るかったのですけど、今ぐらいの
季節になると、
日本と同じように6時ごろにはドップリと夜のシジマが訪れます。そして
やはりパーティーは暗くなってからが盛り上がり、そしてエンドレスとなって行くのでした。

家内が、『今でもトーガ・パーティ』ってやってるのかなと聞くので、アメリカ人、特に一般
女性の髪型が昔と何一つ変わっていないのだから、きっと続いてるよと、返事しておき
ました。

そうそう、最後にもう一つ、Saturday Night Fever と言うコンセプトがありました!
当時一世を風靡したジョン・トラボルタ主演、ビージーズの数々のヒット曲を生みだ
した
あの娯楽大作のパクリ。ひょっとしてDisco Night と同じとちゃうん!?


いえいえ、違うんですよ。
寮の仲間が集団でインフル感染して、土曜日は熱出してウンウンうなされ寝込んでた
だけなんです。でも、これって非常に稀なケースだったんですよ。
静寂に包まれた週末のアニマルハウス、なんかとても気持ち悪いでしょう?


無知は知の始まりと申しましょうか [留学生日記・後日談]

  昨日の早朝情報番組で、小田和正さんがコンサートツアーの締めくくりとして、地元横浜
赤レンガ倉庫前の特設ステージの模様を紹介していました。


 

小田さんと言えばもちろんオフコース。以外とその歴史は古く60年代からなんですね。
留学一年目に今人気があるんだと姉が送ってくれたカセットで、初めてその存在を知りました。
それから足かけ6年目、無事大学も卒業して帰国の段となった時、一度乗ってみたかったJALの
エグゼキュティブクラスに乗ってやろうと、小〇館から頂いたお小遣い片手に、旅行会社の友人を
訪ねて片道一枚をゲット。

首に友人達から貰った沢山のレイを掛けたまま念願のシートへ。 広い!
確か真ん中左側のアイルサイドだったと記憶してますが、機内はかなり空いていて、乗客の頭が
ポツリポツリと見えるくらいでした。何気なく右を見ると、一席おいてに日本人男性と思われる
先客がおり、当時の癖で何気なく会釈をすると、快く返してくれました。

行きとは違って帰り便は意外とロングフライトになるハワイ線。何して過ごそうかと考える前に
まず首からレイの束を外して手荷物の整理を出発までに済ませ、いざ快適なシートへ身を委ね
辺りを見やる余裕が出来た時、ふと、CAさんのソワソワ振りに気を留めることが出来ました。
ソワソワのワケの探求はちょっと置いておいて、そんな姿を見て何気に見えないプレッシャーから
解放された気分になり、いよいよテイクオフ。

水平飛行に移ると飲み物サービスが始まり、勿論軽くビールでもう一度自分に乾杯です。
そうこうしているうちに席の後ろ、カーテンが引かれたエコノミーとの境界辺りで、CAさんが何やら
乗客らしき人達に何か話してるのが聞こえたのですが、内容までは聞き取れませんでした。
ただ、乗客たちの目的はどうやら私の右隣の吾人らしいことにはどうやら気付きました。

     誰? この人。 もしかして芸能人? でも、俺、全然知らんわ、この人。

日本の芸能界とは暫くご無沙汰していた私なので、留学中に活躍していた人たちの顔は勿論
分る筈がありません。CAさんたちは何度も申し訳ないと謝っているのですが、その顔は少し
ニヤケているようにも見えました。少なくとも私には。

それからというもの、隣の人が気になってしようがなくなり、いっそ失礼を覚悟にストレートに聞い
てみようかとも思ったのでしたが、何やら一生懸命仕事をされてたみたいで、やはりそれはでき
ませんでした。その代りトイレへ立ったタイミングでCAさんにでも聞き込みしようかとも考えた
のでしたが、こちらも不発に終わりました。なにせ人一倍トイレが遠い私なもんで、なかなか
チャンスに恵まれなかったのでした。

結局一言も交わすことなく成田へと到着してしまい、慌ただしくファーストの乗客に続いて
ターミナルへと移動。手荷物検査を終えて到着ロビーへと出て行く間、どうやら彼は私の後ろに
いたようでした。私がドアを出て現妻の出迎えを受けたところで彼女が一言、

     あれっ! 小田さんと一緒だったの!!

空港からの道すがら、彼女から小田さんのレクチャーをたっぷり受けたのは言うまでもありません。


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