ホテルの空調は結構しっかりと利いていたはずなのに、明け方やたらと冷え込んで
目が醒め、カーテンを開け外をうかがった途端、辺り一面の真白な雪景色が目の前に
広がっていました。ナント実に32年振りでここ首都ダマスカスに降雪記録が生まれた
瞬間だったのでした。

地元の子供たちには天からの素敵なプレゼントになりましたが、我々大人たち、さしずめ
これから街へ繰り出そうとしている、母国で雪を見慣れた日本人にとってはちょっと厄介な
コンディションとなってしまいした。それでも、朝食を食べている間に上昇して来た気温の
お蔭で、道路に降り積もった雪はみるみる解けて行った様で、ホテルを出るころには
ベチャベチャのシャーベトと化していました。

ホテル前には例の旧ソ連製VEGAタクシーが待ち受けており、難なくその内の一台へ
乗り込みます。英語で行き先を告げたところ、どこか不安げなドライバーの顔がバック
ミラー越しにうかがえてので、地球の歩き方の目的地写真を見せました。にやっと笑い、
何チャンらカンチャンラOKと言いながら今にも空中分解しそうなコンパクトVEGAを町の
中心へと向けました。

片言の英語はどうやら通じる様で、この雪の話で盛り上がって(?)いたところ、どうも
車内の空気が排気ガスに置き換わって来たようで、やたら会話を遮るうるさいエンジン
音も気になり出したので、その原因たるものを相槌の合間に探していました。

するとどうでしょう。私の左足元の床にパックリと大きな穴が開いているではないですか!
まさか私が乗車した際に踏み抜いたのか!? おっちゃん、ここ床抜けてまっせ!!
と、呆れた笑い声と共にそう伝えると、おっちゃん、ただただ、ケラケラ笑っているだけでした。

足位置に余計な気配りをしながらやって来たのは、ダマスカスで最大のスーク(市場)
ハミディーエです。日本のアーケード商店街の原型と言っても過言ではないでしょう。実に
様々な店が立ち並び、非常に活気があります。そして何よりも真っ先に気付く異様な状況、
そうです。店番も行き交う人もそれはもう男、男、男です。髭を蓄えているので余計に
暑苦し。あの雪もすっかり解けて無くなっていました。

この日私の目的は勿論散策なのですが、当時日本で大人気だったオリーブ石鹸
買い求めることも重要課題だったのです。その合間に絵画、木工細工、織物、そして
ペルシャ絨毯の店を覗いて歩きました。それらしき店を訪ねては石鹸を探すのですが、
とうとう一個も買い求めることができず、挙句あのアレッポまで(石鹸の産地)行かないと
買えない事も判明しました。戦禍が無ければ世界遺産もある平和なオリーブ石鹸の故郷
アレッポ。残念でなりません。

石鹸をギブアップして、気を魅かれた店を一軒一軒冷やかして回ることに作戦変更しました。
まずはアラブの民族衣装です。店のオヤジとその息子がやけに懐っこく、頼んでもいないのに
あれよあれよと言う間に私をなんと、アラビアのロレンスに仕立て上げ、店の飾り物の
立派な剣まで持たせてくれて記念撮影をしてくれました。

店を出る時、私の手からは二包みの袋がぶら下がっており、剣以外の物はどうやらその中に
納められていたようです。商売上手いわ!! 剣もどうかと言うので、空港で足止めを食らい
たくないのでと、丁重にお断り。ああ、あの親子は果たして無事でやっているのか。
三人で一緒に写した写真も有るので、急に安否が気に掛かった次第です。

寄木細工屋でアラベスク模様の小物入れ、織物屋でタペストリーとクッションカバー、そして
画廊ではアラビアンナイトのレプリカがあったので、江戸の春画状態でない物をようやく一枚
それぞれ購入です。最後はやはり、もし手が届く値段であればペルシャン絨毯のちっこいのを
と、大きな店に入り、アラビアンコーヒーまでご馳走になりながら、ベドウィン(遊牧民)の
惚れ惚れする手織り物なんかを見て回ります。ただ、出るのはため息ばかりで、結局買い
求めることは出来ませんでした。

両手にしっかりと収穫物を持って出て来たところがウマイア・モスク
さすが聖地とあるだけにスークとは全く違う空気が流れていました。このモスクの近くに
水パイプ屋さんが軒を並べている箇所があります。独特の装飾がなされた水パイプで
煙草を吸いながらアラビアンコーヒーをすする、そう、シリア版喫茶店というところです。
スークにはこの水パイプを専門に扱う店が沢山有って、実は最後まで買うかどうか
迷ったものでした。やっぱり、荷物になっても買っておきゃよかった!


お昼時となりましたので、地球の歩き方にも載っているローストチキン屋さんへと
足を向けることにします。
次回はシリアの食物事情を解説しながらこのテーマを結ぶことにします。