#59011; 1983年(亥)へと無事に年が明け、ついに最後の学期がスタートしました。 #59011;
元々正月気分など無いアメリカでは以前にもお話したとおり、2日からはもう全てが始まります。
ですから、ただでさえ頭の切り替えは楽なのですが、今回はいつもと違て何か格別な気持ちの
高鳴りとでも言うのでしょうか、気合の入り方が尋常ではなかったような気がします。

普段の学期よりも少なめの教科選択となりましたが、手強い専攻科目ばかりの今回は、レポートの
発表や提出やらで振り回される事になりました。
少なくとも私が所属する学部では日本の大学で言うところの「卒論」というものは存在しません。
その代わりと言ってはなんですが、普段からよくレポートの提出を命ぜられました。

面倒だったのはそのレポートをきちんとタイプアップして提出しなければいけないので、アロハ
スタジアムのスワップミートで仕入れたBrotherの手動式タイプライターで、エッサコラエッサコラと
指を何度も攣りながらも打ち込む日々が続きました。
筆圧と同じように、タイプの打ち方の強弱次第でレポートの見栄えが違ってくる手動式は本当に大変
でした(少なくとも私にとってはです)。
その副産物と言ってはなんですが、同じ年代のオジサン達よりは数段早く入力(半ブラインドタッチで)
出来ていると思いますよ。

2月に入るとホノルルへはにわかにゴルフファンが集まってきます。

#58964; Hawaiian Open (現  Sony Open in Hawaii )の開催です  #58999;

[姉さん、大変です」にも登場したハワイ屈指の名門ホテルKahara Hotel & Resort (旧カハラ
ヒルトンホテル)がある名門 Waialae Country Club で毎年開催されていますが、この年は
特別だったのです。

最終日になるとその興奮は(特に日本人の)絶頂となり、ちょっとしたお祭り騒ぎへ発展!?
アメリカのPGAツアーにおいて日本人として初めて青木功が優勝をおさめたニュースは、瞬く間に
ハワイ中を駆け巡りました。
それも最終18番ホールでチップイン・イーグルを決めての優勝と言う事も、このニュースに花を添えて
いましたね。

たちまちワイキキのゴルフショップ(当時は結構ありました)のウィンドウには、青木の優勝を称える
ポスターが張り出されて、このチャンスを見逃すものかと言わんばかりに優勝記念セールなるものを
何処かしこで開催していました。
前の年のハリケーン・イヴァ同様、オットリしているようでハワイの人も商売人が多い!

受講教科の割には部屋で拘束される時間が長くなり、我がハワイ大ラグビー部の練習にも出たり
出なかったりしていましたが、週に一度のラジオはやはりニュースと天気予報があったので、これを
欠席することはさすがにできませんでした。
私自身もこれをやらないと、なんか一週間が始まらないという感じでしたし・・・・。 #59019;

そう言う訳で、月曜日は少々眠い目を擦りながらの登校でしたが、大学のブックストアにぼちぼち
卒業式関連グッズに関する張り紙が出始める頃になると、ボケた頭も一瞬シャンとして

#59130;ああ、いよいよ俺も卒業できるんだぁ#59130;

なんて独り言を言うようになって、恐らくその場でかなり締まりの無い顔をしていたことでしょう。

卒業式(Commecement )の必需品と言えばあの黒のマントとタッセルの付いた四角い帽子です。
これはブックストアでレンタルできたので、事前に申し込みをしておけばオーケーです。
これとは別に当時はカレッジリングが流行っていて、自分の誕生石を入れた学部毎のリングがあって
業者のオッチャンがブックストアの一角で、結構いい商売をしていたみたいです。
値段が少々張ったので購入は諦めましたが、今となっては失敗したなとちょっと後悔してます。

こうしてだんだんと日増しに、私を含めた卒業予定者並びに修士・博士課程修了予定者のマインドは
graduation モードへと突入して行きました。

しかし、その前に私には期末試験、いや、本当の意味での Final Examination が待ち受けて
いましたので、にやけた顔を今一度ここで、引き締めなければいけません。