断腸の思いの決断 [留学生日記]
翌朝、ドクターに連絡をして手術を受けると伝えると、早速彼のオフィースヘ来れたら来るようにと
言われたので、講義が終わった後に伺うとアポイントメントを取りました。
期末試験まではあと2週間ある。大丈夫だ、落ち着け。
しかし、手術と入院で、もし試験が受けられないとしたら・・・・・・・・ 落第か?
いやいや、もしそうなったら、教授に頼み込んで便宜を図ってもらうとか、打つ手は有るだろうに。
とにかく将来のことを考えたら、ここはやっぱり手術だろう!?
電話の後でとやかく言っても始まらなかったのですが、せめてもの救いは、この日痛いのを我慢して
講義へ出席したことが少なからず奏功したようでした。
何故なら、少なくとも教授に現状を説明することが出来て、同情まで頂けたのですから。
ドクターは大柄な日系人。手術から戻って来たと言ってオフィスに入ってくるなり、
きみ、確か学生保険に加入してたよね。
可哀相な留学生君、私のチャージ(請求)は安くしておくから、保険で大体賄えると思うよ。
手術は3日後でどうだい?
どうもこうもここまで来たら行くっきゃないでしょうに! 覚悟は出来てますって!
2日後の夕方に入院手続きを済ませた私は、トイレ付きの2人部屋の一角に陣取っていました。
お金のことは心配することないよとドクターは言ってたけれど、ここまで豪華だと心配にもなります。
翌早朝、時間通りにナースが部屋へとやって来て、麻酔のための注射を2本、お尻と腰に打ちますと
告げるや否や、サッとお尻をめくられてブスぅと一発喰らいます。
朝の挨拶にしたはちょっと過激すぎやしませんか?
思わず大学の診療所でのことを思い出したと思った途端、どうやらそのまま深い眠りに入って
しまったようでした。
薄っすらと意識が戻って来た時、どうやら私はrecovery room (術後回復室)という所に居たらしく
口の上に置かれた酸素マスクがやたら鉄アレイのように重く感じて苦しくなり、どうやらその時、唯一
動かせた自分の舌を使ってそのマスクを口からどかせたらしく、その場で無常にもナースに叱られて
さらに重みを増したマスクを元に戻されたようでした。
術後の2日間というもの、痛みとモルヒネのせいで生きた心地がせず、友人たちが見舞いに来て
くれたのも分からないほどだったらしいです。
それでも3日目にはようやく痛みも薄れて、まともに食事が出来るようになりました。
この病院の食事というのがまたずごくて、外科ということもあったのか、ナースがメニューを持って
病室に来てくれ食事の分量からなんと、ステーキの焼き加減までオーダーを取ってくれるのでした。
ドクターが同じ日本人のよしみという事で、たいそう便宜を図ってくれていたのかも知れませんね。
アメリカのステーキがこんなに美味しいものかと、この時最初で最後にそう思ったのでした。
食べることがきちんと出来るようになると、人間の回復力たるや目覚しいものがあります。
傷のくっつき具合も良好との事で、9日目にスピード退院することが出来ました。
期末試験へはギリギリ、ヘッドスライディングでセーフというところでした。本当にギリギリ!!
翌日からはドクターの許可も貰っていたので講義へ出て、遅れを取り戻すことに専念しようと努力
しましたが、不自由な身とハワイなのにまともにシャワーが浴びれていないという、キツ~イ
ハンディを背負っていましたので、集中力は長続きしません。
特に左腕ごと太いバンドで体に固定していたので、使う用の無い30cm定規は必須携帯道具でした。
それを使って講義中にポリポリやっていると、以前から私が怪我をして来る度にやたらとそれを
イジリに来る教授の格好の餌食となっていました。
かなりの同情票があったとは思いますが、どうやら無事に来る卒業式にはあのマントと帽子を身に
まとい、晴れ晴れと参加出来ることになったこの時は、あの魔の日曜日からこの試験最終日までの
長~い日々を思い出さずにはいられませんでした。
あ~あ、本当にこれで全部終わったんだな。
いやいや、もうひとつ大きな課題を克服していません。
どうやったら、髪の毛も体も、きちんと洗えてサッパリ出来るのか?
そうなんです! うちのシャワーは壁にへばり付いていたのでした。
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