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秋の夜長の訪問者 [留学生日記]

外気の温度差があるわけでもなく、虫の音が聞こえて来るでもなく、日照時間だけが段々と短くは
なって来るそんなハワイなんですが、やっぱり感謝祭が近付き12月の声も聞こえてくるとさすがに
常夏と言えども秋を感じずにはいられません。

講義が午前中で全て終わってしまうので、一日の内で特に日が落ちてから寝るまでの時間が非常に
長く感じられました。
そんなある晩、道路に面した机に向かって勉学に勤しんでいると、何やら蚊の鳴く様な人の声が
下の方から聞こえたような気がしました。
気のせいかと思って教科書へ目を戻すとやっぱり聞こえ、今度は自分の名前が呼ばれてる事に
気付いたので、ジャロジーを全開にして外を覗いてみると、友人Bがそこに突っ立っていました。

  どうしたん? 
  バイクでこけた。 右肩上がらん。

急いで下まで降りて行くと、今にも死にそうな顔をしたBが愛車のそばで苦しそうしていました。
聞けば、タンタラスの丘へ気晴らしに出掛けた帰りに、カーブを曲がり切れず転倒したとのこと。
気が動転していて、とにかくCB850の巨体をかろうじて起こし、私のアパートまでやっとの思いで
運転して来たと言うのです(脱帽![がく~(落胆した顔)])。

怪我の具合も解らなかったのでバイクを安全な場所へと移動させ、彼を部屋へと連れて来ました。
灯りの下で改めて見てみると、あっちこっちに擦過傷を負っていて、極めつけは右の鎖骨がどうやら
折れているというのが、素人の私にもわかりました(両肩負傷済みの私です[もうやだ~(悲しい顔)])。

アメリカでは救急車の出動要請は有料ですから、取り急ぎ私の車で救急病院へ連れて行くことに
しました。[病院]
どうやってこの病院が分ったのかは覚えていませんが、ダウンタウンにある大きな総合病院でした。
検査と治療の間中ERの外ですっと待っていたんですが、何処の国も救急外来は引っ切り無しだと
実感しました。

どうやら手術はせずに治ると言う事でBも一安心したのか、ようやく顔に赤味が差して来た様でした。
夕食が未だだと言うのでMacでドライブスルーして、彼のアパートの部屋まで送り届けやれやれ。
暫くの間は大人しくしているよう諭し、何かあったらすぐに連絡するよう言ってアパートへ戻りました。
ふと時計を見れば日付がとっくに変わっており、翌朝7時からの講義に備えベッドへと直行でした。
本当に長かった一日がようやく終わりました。

友人Bの戦線離脱によってラジオの方もちょっと忙しくなってきました(『年男=当たり年』参照)。
特に月曜の朝も8時からの講義が控えていた
ので、本番終了後の反省会まで含めてしまうと完全に
真夜中のモード突入です。反対に一日は48時間有る様な錯覚にも陥りますが...。

そんな時にまこと有り難かったのは、時々リスナーの方からのスタジオへの差し入れでした。
中でもこれぞと言うのが、あの『ファイト~、一発』でお馴染みの栄養ドリンク剤でしたね。
夜更かし学生の我々にはピッタリで、わざわざハワイの責任者の方が持って来てくれたのをよく
億えています。
局のスポンサーだったかどうかは忘れましたが、この商品が我々の手に渡った瞬間から、いわゆる
タイアップ広告と発展していくわけですから、この辺の費用対効果の予測もバッチリと考えられて
いたのでしょうかね!? 
その他スウィーツやら夜食やらでほんと、助かりましたわ。[わーい(嬉しい顔)]

もうすぐ感謝祭だというのに、ハワイはとんでもない招かざる訪問者に頭を痛めることになります。

  [雷] ハリケーン・イヴァの来襲!! [台風]

ハワイ全島にその猛烈な暴風雨で襲い掛かり、私たちの日常生活を1週間に亘ってズタズタにした
超大型台風です。
1959年以降では初めてハワイを直撃したカテゴリー3以上のメジャー・ハリケーン(この10年後の
1992年にもハリケーン・イニキが直撃している)で、それはそれは全島民が恐怖へと陥れられた
恐ろしいハリケーンでした。

ハワイ全島で電気・水道などのライフラインが寸断され、せっかくのHome coming season も
まったく台無しとなり、ろうそくの灯と共に自宅待機を余儀なくされたのでした。
幸い私の部屋は3階だったので、エレベーターの影響は受けなかったのですが、友人Bは高層階に
住んでいたので、怪我と合わせてダブルパンチを喰らっていました。

食料も底をつきかけた頃にやっと、全てが機能し始めてホッと胸をなでおろすことが出来ましたが
準備も出来なかった大勢の観光客がこの惨事で一番割を喰ったのではなかったでしょうか。
そんな観光客目当てではないのでしょうが、ハリケーンが去った数日後にはもうワイキキで、今回の
災害をモチーフにしてプリントされたTシャツが売られていたのには驚きました。

We survived in Hurricane Iwa

確か、こうプリントされていたと思います。

ハリケーン・イヴァが残した災害の傷跡は大きかったですが、私にとってはハワイ、いや、アメリカ
での最後のクリスマスがもう直ぐそこまでやって来ていました。


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