その店の近くまでやって来ると、そこがお目当ての場所かどうか直ぐに判明
しました。丸々としたチキンが店先のロースターでクルクルと美味しそうに焼かれて
いたからです。

シリアの人達は日本人を見てもさほど珍しがりません。慣れていると言うか、ただ
懐っこいと言うのか...。手に持っていた地球の歩き方を見せてあげると、たちまち
店のスタッフが集まって来て、何チャラカンチャラと口々に喋っていました。自分達の
店が本当に日本のガイドブックに載っている事が嬉しかったんでしょう。実に明るい
人達であります。

ホールは無理だと言うとハーフにしてくれ、目の前に先程まで店先でクルクル
回っていたチキンがモロヘイヤサラダと共に運ばれてきました。このモロヘイヤ、
シリアが原産だそうです。行儀よくフォークとナイフで食べていたら、スタッフの
一人が、手で行きなよと言わんばかりのジェスチャーでそう促します。これで
傍らに冷たいビールでもあれば最高なんでしょうけど...。ああ、イスラムよ。

シリアでチキン以外の動物性タンパク源と言えば日本とほぼ変わらずですが、
やはり牛より羊を食する機会が多いようです。あと、豚はいけないと言われたり
してますが、これはケースバイケースらしいです。

滞在中、現地商社の社長に連れられて地元の有名羊料理レストランでご馳走に
なりました。物凄く照明が薄暗くて、テーブルに運ばれて来る料理をしっかりと
目視するには少々厳しい状況です。というのも、後に始まる予定のあの魅惑の踊り、
ベリーダンスショーに備えたものだったらしいのですが...。

その特殊照明の中でひときわ青白い光を放つ、野球のボール位の物体が目の前に
運ばれた時、直感ですぐにあれだと分りました。ベドウィンの伝統の流れでしょうか、
ゲストを最上級にもてなす最高級なディッシュらしい、そう、羊の脳ミソです。

中国でかなり訓練されてきたという自負は当時既にありましたが、やはり初物と
なるとかなり度胸が要ります。しばらく躊躇していたらその社長、有り難い事に
スプーンですくってくれて私の手へと渡すではありませんか。ここはもう覚悟を決め
一気に口へ。あとは野となれ山となれでした。触感はクリームチーズ、味はよく覚えて
いません。たぶん息を止めながら噛んで飲み込んだのでしょう。

実はこの社長、前日の夕刻にも自宅へ招待してくれていました。おそらくこの
ダマスカスでは高級住宅地と呼ばれているところに構えた一軒家です。アラビック
な調度品と内装のリビングで喋っていたところへ、お手伝いさんらしき恰幅のイイ
女性が、銀のトレイに見事に綺麗に並べられた一口サイズのケーキを運んで
きました。

ん?夕食の前にスウィーツ??なんで???

アラビアンコーヒーも運ばれてきて、デザートから始まるシリアン・ディナーの
始まりかと、一瞬そんな錯覚を覚えました。実はこの夜、これだけだったんです。
所変われば風習も違うもんだと、ただただ頭の中でその理由を探すのに必死
でした。未だこの謎は解けていません。
そしてここでもう一つ、謎ついでにこの社長曰く、このシリアがケーキ発祥の地だ
と豪語して止まなかったのですが、本当なんでしょうか?どなたかご存じでは?

結局待てど暮らせど、レストランで魅惑のショーを見ることは出来ませんでした。
踊り子さんの体調不良かなんかだたんでしょうか。店の外へ出てもやはり薄暗い
街の灯り。電力事情というものでした。ホテルに居る限りまったく分らなかった
ことでした。


平和であった頃のシリアには以外にも日本人団体観光客が訪れていたようです。
小さな国ではありますが、中東と呼ばれる地域の中心にあって、歴史上その昔
非常に重要な役割も果たしてきました。その証拠に、世界遺産に登録されている
名所旧跡が沢山ありますね。

その世界遺産も今回の内戦で、尊い人命と共におそらくその姿かたちを変えられて
しまうのでしょう。

     底抜けて明るかったタクシードライバー
     フレンズ、フレンズとやたら懐っこかった民族衣装屋の親子
     優柔不断な客に最後まで付き合ってくれたペルシャ絨毯屋さん
     意味深な笑い顔付きで次から次へ没収対象図画を出して来たギャラりー店主
     日本へ行ってみたいと仲間に話してたチキン屋のあんちゃん。
     そして世話になったシリアの社っ長ょぉ~ 

その他、戦禍に怯えるイノセントなシリアの人達の無事を、ただただ祈るだけです。