7年前会社の関係で、とあるビッググループと共に久し振りでツアー旅行に出掛けた時のことです。
目的地はベトナム&カンボジアで、中でもメインイベントは世界遺産のアンコール遺跡観光です。
成田からベトナム航空でホーチミンまで行き、乗継でアンコール観光の拠点シェムリアップへ。
内戦の傷が未だ癒えないカンボジアではありますが、我々観光客の目に映るものからはその陰すら
感じられない、そんな穏やかで物静かな土地。
アンコール遺跡へと続くメイン街道こそ、当時はまだ全面舗装とはいかないものの、所々に少々
場違いにも思える豪華なホテルが、近所のローカルな屋台村とのコントラストを醸し出し、いかにも
発展途上の土地へやって来たなと言う気分にさせてくれました。
恐らく現在では、街道に所狭しと、現地では五つ星のホテルが林立していることでしょう。
事実、当時でも既に人々は強く逞しく、母国の復興と
発展を願いながら日々労働に励んでいました。
特に(本来あってはならないのですが)子供たちの
商魂の逞しさには目を見張るものがありました。
バスが駐車場へと着くなり、窓の下へと大きな包み
を抱えて何十人もが殺到してきます。
「Tシャツ、一枚US$1、10枚で$10!安いよ!!」
と、流暢な日本語でセールス開始。
毎朝だからこ慣れたもんですか!?
「そのまんまやん、もうちょっとまけて」とは、こっちも大人げないか!? #59124;
「えいっ、カンボジア復興の為だ。$10でいいよっ!」
商談成立。 でも、子供は反則だよな。
と、まあツアーの仲間を含め、帰りのバスはTシャツだらけとなっていたのは言うまでもありません。
しかし、本当に驚かされたのは、実はこの子供たちの日本語習熟度の高さでした。
何処で習ったかと聞くと、誰それに教わったと日本人の名前を言うのでした。きっと現地で活動する
何かのボランティア機関の人達だとは思うのですが、それにしても大したもんです。
現在カンボジアに進出している日系企業はきっと、大きくなった彼らの力を借りていることでしょう。
我々ツアー一行がアンコールワットの第三回廊前で
暫しの休憩タイムへと入った時にそれは起きました。
回廊には十数mの急な階段があって、それを踏破
すれば回廊の内側へと入ることが出来ます。
ここで健脚組と休憩組との別れ、私と家内は下に
残ることにしたのです。
隣り合わせたツアー仲間と談笑していた時、何気に回廊のその階段上部へ目をやると、気になる
物体が視線に焼き付きます。
「あれ、あの人、さっきから一歩も登らないで、というか、動かないで何だか様子が変じゃあない?」
私の疑問の答えをみんなから待つまでも無く、「凍ってるわ!!」
そう言い残し、一目散にその急階段を駆け上がる私がそこにいました。
恐らく、この第三回廊が造られてからこの方、この階段を猛スピードで駆け上がった者は私一人
ではないでしょうか。自分でもビックリする位の敏しょう性が発揮され、あっという間にその物体の
傍までやって来ていました。
その物体の正体とは、成田出発当時、出発ロビーで真っ黒に日焼けした体をみんなに自慢していた
ミスター・テニスプレイヤーではないですか。年の功はアラ・シクスティー。
「大丈夫ですか? 動けますか?」
「カメラ片手にここまで登ってきたら、カメラから電池が零れ落ちていったんです。それを見た途端
急に恐ろしくなって、腰が抜けたみたいで・・・」
「大丈夫です。まず上だけ見ましょう。 そして上の足から動かして一段ずつ登ります。」
私が救助にやって来たので安心したのか、5分程再起動にかかりましたが、ようやく残りの10段
くらいを登り上げて、無事回廊の内側へと到着したのでした。 やれやれと。
思わぬ救出劇を振り返って、思わず自らゾッとせず
にはいられませんでした。
回廊からの下りは、これまた級ではありますが
一応手摺りの付いた狭い鉄製の階段だったので
二人とも楽勝で降りて来ました。
吹き抜け構造の第三回廊内
『何とかの冷や水』、ミスター・テニスプレイヤーにはいい教訓になったことでしょう。