24日朝刊の発行を最期に廃刊となった香港の蘋果日報(Apple Daily)の短い歴史が幕を閉じた
ユニクロの先駆者とも言えるジョルダーノの創設者で香港の名物親父ジミー・ライの収監と
中国当局からの資産凍結などにより香港の民主派急先鋒のメディアは霧散となってしまった


繁体中国語のドデカい文字が羅列されたトップの見出しや裏表紙の芸能ゴシップネタが
週末昼時の飲茶テーブルのあちこちに氾濫していた光景は今では遠い昔話となった
1997年の中国返還前に移民パスポート取得に血眼となっていた香港人が口々に言ってたなぁ
一国二制度なんてあり得るわけないだろうって、でも、この頃まだ余裕しゃくしゃくで





だから、いざ永住権取得に成功した香港人たちは挙って香港へ舞い戻りせっせと稼いでた
オーストラリアやカナダが人気の永住先、というよりは海外にある別荘的感覚だった
そんな海外組香港人はおろか純港人たちも所構わず中国や中国人の悪口を遠慮なく吐き出していた
信じちゃいなかったけどこんな日が本当に来てしまうとも思ってはいなかったように





1985年当時勤めていた会社のパーティーで射止めた旅行券を元手に妻が独身時代に出張してたという
当時場所さえろくに分からなかった地図上のちっちゃな点へ観光旅行したのが香港との出会い
啓徳空港へのアクロバティックなランディングで度肝を抜かれ、熱風とドブ臭でファーストダウン
映画さながらのタクシードライバーや、ぶつかりながらも我先にと闊歩する香港人にセカンドダウン
最後は喧しいとしか言いようのない広東語BGMで食した本場中華の絶品の数々でノックアウトだった


衝撃的出会いから僅か1年、ここでやらなきゃどこでやるとばかりの一念発起で進出を果たし
空港や街の変遷と共に一大イベントの1997年中国返還を見届け1999年までの干支一回り
私の人生に強烈なインパクトを与えた時間を過ごした正宗香港の歴史がまさに閉じようとしている
その間に出会い公私を共にした朋友たちの中にはまだ居残る者がおりその行く末を案じる毎日である





最後に訪れたのは何年前か、コロナが輪をかけすっかり遠ざかってしまった香港の今の姿は実に痛々しい
文革当時と変わらぬ密告制度があるのか、公共の場でしかもあの大声だとお国の悪口はご法度だ
元々くだらない話が大半らしい喧しい広東語の渦、無難な話題だとさぞや盛り下がってしまうのだろうな
香港人から言論の自由を完全に奪うということは香港人を完璧なほどに抹消してしまうようなものだ


ニュースで様子が伝えられるたび妻と二人、もう訪ね歩くことはないだろうねと結論付けてしまう
幸い居残った朋友たちは裕福に暮らしているので暇とコロナの様子を見て日本へ来いよと言うしかない
それでも本当にどれだけ変わってしまったのかは、どうしてもこの目でもう一度見届けたいという気も強い
旅の自由が戻ったなら朋友たちに会い今後の身の振り方を聞きてみたいというのが本音である