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TOEFL [留学生日記]

Test of English as a Foreign Language の略称

これが私のハワイでの新たなる船出を待ち受けていた「魔物」です。

学校へ戻ると、このTOEFL専科のクラスが新設されていました。
私と同じように米国の大学を目指す生徒たちがこのクラスで学びます。

大学によって留学生に課するボーダーライン・スコアがあり、大学のレベルが上がれば
正比例してスコアも高くなっていきます。
最低500点から願書を受け付ける学校もありましたが、やはり600点はクリアした方が
志望校へより合格する確率が高くなるということです。

来る日も来る日も、日常会話ではおそらく登場することはないような単語との格闘が続きました。
当時は読む・書く・聞くの三教科でしたが、これがなかなか上達しない(私だけだったのでしょうか?)。
年に何回かしかない試験目指して、とにかく久しぶりで勉強したなという感じでした。

夏の学期だったでしょうか、初めてのテストを受験することになりました。時期尚早でしたが
感触を得るためと度胸試しで受けてみました。

結果は? 惨敗の480点。

大学の姿がかなり遠のいた瞬間でした。
早速担任と弱点洗い出しを行い、次なる試験へと準備する傍ら、志望校の選択もそろそろ
始めなくてはいけません。
まだまだ志望学科が絞り込めない状況の自分でしたが、文系で行くことは決めてましたので
(理系で大学入試を失敗してましたから)、とにかく大学選びから始めることになりました。

ここで、前出のベティー先生が再登場します(お見逃しの方は「ワイキキシェル・ホールで...」を
ご覧ください)。

当時進路指導もしていた彼女にそれとなく相談してみたところ
「日本人の居なさそうな大学へ行きなさいよ! きっと英語はもっとうまくなるしね。」
そりゃあこう言っては失礼ですが、ネブラスカやウィスコンシン辺りなら居なさそうだけど
ちょっと寂し過ぎるし遠すぎます。もう少し日本に近くていいとこないのと言いかけたとき

「いい所がここにあったわ!ここならいい。この大学結構いけてるから。」
と、彼女が指差す地図を見ると、右手の人差し指の先にはカリフォルニアとオレゴンの州境がありました。

「こんな所に大学なんてあるんですかぁ!?」

この後は彼女の一人舞台でした。
「あなた、いまTOEFL何点?」
「520点ですけど。(二回目の挑戦でこれがやっとでした)」
「じゃあ、550点取ったらとにかくアプライ(出願)しましょう。」 「次は必ず取りなさいよ!!」

なんだか分からないけど俺はカリフォルニアへ行くんだモードになっていたことに気付いたのは
その年も最後の12月。
相変わらずアラモアナには例のサンタがお目見えしていて、街は南国クリスマスモード。

しかし、今年は浮かれてるわけには行きません。せっせと勉学に励み続けいざ三度目の正直。

年が明けての結果発表で、送られてきたスコアカードを添付して出願への運びとなりました。
ちなみにスコアはぎりぎりの550点でした。

ベティーは大丈夫だと言ってはくれていましたが、分厚い封筒を受け取るまでは安心できません。
郵便ポストを何回のぞきに行ったことか。

1979年1月もそろそろ終わろうとしていたある日、とうとう待ちに待った分厚い封筒が大学から
届いたのです。われわれ留学生が大手を振ってアメリカで生きていくために必要なForm I-20
これさえあれば、しかも大学発行ものともなれば4年の数次学生ビザが貰えるんです。

電話口でベティーから祝福を受けたあと、早速入学準備のための第二次帰国準備に取り掛かることに。
大学へ持って行けそうにない物は友人へ、行けそうな物はダンボールでパッキングし友人宅で
ひとまず保管。なんとも楽しい仕分け作業だったことか。

今回も約一ヶ月間の滞在になるわけですが、前回と違って少しは背筋が伸びて帰れたのではなかったでしょうか。
 

カリフォルニアと言えばEagles。でも、場所からするとロスからは明後日の方向にあるカリフォルニア。
いろんな思いを頭の中で巡らせながら、私の体は一路日本へ向けてチャイナエアのジャンボ機中に。
ソウル経由はやっぱり懲りていたので、これにしました。


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