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兄ちゃん、兄ちゃん、ちょっと! [独り言の抽斗]

  前号記事に続き予約投稿となります。
PC持参で行こうかとも考えたんですが、やはり荷物となってしまうので
諦めました。

ここ暫く大阪へ帰る機会が格段に増えましたが、あまり出歩くことはなく、
実家との往復で終了してますので、正直今のこの街の事はよく知りません。
しかも若かりし頃は高校時代までしか居なかった上、部活に勤しんで
おりました関係上、ミナミやらキタやらを肩張ってぶらつく事も無く、穢れを
知らないまま海を渡ったのでした(その分海の向こうは刺激は強すぎた!)。

そうです、この方自腹を切って堂々と大阪の繁華街をアルコール付で遊んだ
経験が殆んどないのですよ。
高校時代はせいぜい明るい内に部活仲間と一緒にtommy88さんもよく通った
と言う、ミナミの映画館へたまに行くぐらいでした。

その折、当時ではまだ出来たてホヤホヤの地下街『虹の街(当時)』なんかを、
地場のヴァンジャケット・ショップで仕入れたアイビールックで身を固め、そぞろ
歩きをしたものでした。映画の後は最新のファッショントレンドチェックと称して
当時我々ガキンチョには敷居の高かった『心斎橋』へも繰り出しました。
ちなみに現在の心斎橋筋は老舗という老舗が去り、見る影もありませんね。

今はどうだか分りませんが、当時その虹の街の入り口付近に自衛隊の出張所
みたいなものがあり、新規隊員獲得の前線基地となっていました。ですから
その前を我々のような若い大男達が通る度、前の方から怪しい微笑み満面に
浮かべたおっちゃんが声を掛けて来るのです。おっちゃんと言っても三十そこそこ
の人。でも、我々にとってはもう、『立派な』おっちゃんです。

     兄ちゃん、兄ちゃん、エエ体しとるやんか。
     自衛隊、入らへんかぁ。

我々はこれを、『合法的キャッチセールス』と呼んではばかりませんでした。

     おっちゃん、僕ら、これから大学行くし、ちょっと無理ですわ。

     そんな事、言わんとやな...。 あっ、そや、大学行くねんやったら
     自分ら、防大受けや。エエでぇ...。 イャ、ちょーぅ待てよ...
     アカンわ、自分ら卒業したら、おっちゃんの上司やん。アカン、アカン。

って、勝手に人の進路決めといて、ノリ突込みしなや、と突っ込んで中川家風
漫才の解散です。
高校時代の懐かしい話と言うと、このネタしか出てこないところがとても哀しい。

そんなことを想い出しながら懐かしの場所をぶらりと、歩いてみることにします。


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tommy88

自衛隊の出張所、それは「地方連絡部」とか言ってたと思います。略して「地連(チレン)」です。当時は4人とかある一定量以上の人間を勧誘成功すれば、号俸が1つ上がるシステムだったと思います。金のために本気になるキャッチは今も昔も同じでした。

確かに虹の街にありました。通路の中央にありました。右側を通る連中も左側を通る連中も片っ端から入れたろか、という貪欲に意欲的な、そしてその中に連れ込まれたら、どんなに鈍くさい連中でも夢と希望とが持てるような話が語られます。景気が上り調子だと、人手不足。結局、地方の次男三男が身を寄せる場所でしかなかったのでしょう。

マダムキラーが始まる前でしたが、「兄ちゃん、兄ちゃん、エエ体しとるやんか。自衛隊、入らへんかぁ。」の呼び声に心ふるわせることもありませんでした。実際、アベノ地下街の公衆トイレで用を足していたら、じ~っと見つめて観察してから尾行してくるお兄さんがいて、よくナンパされました。しかし男には全く興味がないし、当時はまだ、お姉さんたちのオモチャだったから、掟を破るわけにはいきません。

虹の街。地下鉄千日前線とか近鉄とか、そういうのが乗り入れてできていたのでしょうか。南海線なんば駅から降りてきて、御堂筋線を越えて地下通路を歩き進み、突き当たりを左右に虹の町がありました。今はその突き当たりの少し左に、市の出先機関があって、1月の葬儀の後に戸籍謄本を取りに行ったことがあります。そのとき、虹の街の左側を少しだけ攻めてみました。

虹の街自体も模様が変わり、当時はおそらく日吉ミミだったかの歌がしょっちゅう流れていましたが「にじぃーのぉーまぁーちぃ」というくだり。鬱陶しいほど流れていました。左側の、左通路の入り口から数メートルのところに、40年前と同じ店がありました。「江戸川」です。接客態度が悪いと、いくつかの店でクビになった後、ここで我々サッカー部は拾ってもらいました。3人か4人で雇ってもらい、夏休みも冬休みも働きました。

もちろん私はここでも接客態度が悪いと言うことで、「まかない係」と称して中に入りました。中は怖い板さんがいて、料理長は口数が少ないだけでしたが、連中は包丁持ってるし、人間関係のセンサーを鋭敏にしたアルバイトでもありました。江戸川、鰻料理と天麩羅専門の店でした。なぜかここでは名前で呼んでもらったことはありませんでした。「ワル」と直球で呼ばれていました。「ワルこれ洗っとけ」「ワル鰻の肝つぶせ」「ワル米、洗え」という感じ。

結局、怖い板さんたちもかわいがってくれて、肝つぶしで黄色く汚れた割烹着を着て、そう言えば、風の吹かない虹の街を肩で風切ってトイレまでの距離を歩いていました。アベノからミナミに縄張りを変えつつある時期で、このときに度胸があれば渡米して私も今は社長だったはず。ミッキー安川に憧れるぐらいですから。しかし、坂道をゆっくりと転げ始めていることに、当時の私は気づいていない。万博に、この店のお姉さんに連れられた頃から坂道が始まったのでしょう。
by tommy88 (2012-07-16 06:07) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

tommy88さん

こんなところに生き字引がいらっしゃるとは...
残念ながら虹の街へは寄れませんでしたが、心斎橋には
ちょこっと顔を出して、『はりじゅう』で父親が大好きだった
カレーを買って帰りました。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2012-07-16 20:04) 

だいず

私もむか~し渋谷とか銀座で
「夜のお仕事」の勧誘よくうけました(^m^)
そっちに進んでたら…どうなってたんだろう(@@)
by だいず (2012-07-16 22:52) 

pandan

大阪〜いいですね、
たまに遊びにいくこともありますが、
いつも活気があっていいですね。
by pandan (2012-07-17 06:50) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

だいずさん

きっとスカウトには夜叉巻で着物姿のだいずさんが
想像できたのでしょうか?
意外と合ってたりして...。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2012-07-17 20:32) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

pandanさん

パワーならどこにも負けないでしょうね。
香港、台湾、韓国が大丈夫なら大阪は楽しめますね。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2012-07-17 20:35) 

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