仰げば尊し、我が家の恩? [留学生日記]
当時のハワイ大の卒業式と言うのは5月と12月に執り行われ(今もそうですが)、12月の卒業式は
ホノルルのニールブレイズダルセンターでした。ちなみに5月はキャンパスです。
就労ビザがない限り当時ハワイ、と言うよりもアメリカで就職するのは至難の業でした。
従って、学生ビザで滞在していた我々にとって、卒業はイコール帰国を意味していたのです。
ただ、卒業式の翌日には出国しなければならないなんていう規則はありませんでしたから、そのまま
何週間かはハワイに留まり、最後のハワイを満喫しようとするわけです。
アパートの契約の関係で、どうしても帰国を前に引き払わねばならないのですが、その間の宿が
どうしても必要となってきます。
そこで何故か白羽の矢が当たったのが、何を隠そう私のアパートだったのでした。
帰国時に携帯する荷物と勿論、寝床の確保であります。
必要の無くなった物はどうしたかと言うと、まず、必ず仲間と一緒に毎週末に開催されていた
アロハスタジアムのスワップミートへ出店しました(水曜日にも開催されてたと思います)。
日本のフリマと同じです。ただ、規模は相当デカかったですよ。
現在でもオプショナルツアーかなんかで行けるんじゃあないでしょうか?レンタカーならもっと簡単に
行けますよね。
この時我がアパートから最初に巣立って行った友人には、どうしてもスワップミートでは売りさばけ
そうにない商品が残っていたのです。
ズバリ、彼の愛車でした。
何年式かは忘れましたが、フォードの4ドアセダンです。結構デカかった。
ボディーは錆びた個所があったりしていましたが、エンジンと足回りはまだまだ丈夫でした。
予てより生活していく上での車の重要性は痛いほど認識していましたし、ラグビーの試合でよく島の
裏側へも出かけていましたので、ここは一肌脱いで私が引き受けようと決めました。
友人も勿論そうして欲しかったでしょうから、居候代を考慮しての値段交渉の結果と言う事らしかった
のですが、どうやら私の方が卒業祝いをあげてしまったみたいです(後日談として)。
と言ってもこの友人はメインランドへ旅行に出て、ほとんどハワイに居ることはなかったので、まあ
ツーペイと言ったところでしょうか!?
お蔭で私の生活範囲がググっと大きく広がって、まこと、水を得た魚の様でしたね。
一回の食材の買い出し量が増えて、小さい冷蔵庫一杯に買い置きできたことや、以前にもお話した
増え続けている、私を訪ねて日本からやって来る人達のアテンドの内容も激変しました。
一番助かったのはやはり試合が終わった後、疲れた体でカピオラニ公園からバスでアパートまで
バスで戻らなくてもよくなったことでしたね。
車の維持費が大変安くつくのはハワイと言えど、車社会のアメリカですから当然の事なのですが
ガソリンだけはいくら安くても毎回必要な分として、5ドル程度くらいしか入れてませんでした。
考えてみれば30年前に私は既に、エコドライブの先駆者として活躍していたではありませんか
これを機に我が家からは82年5月と12月にそれぞれ、友人たちが旅立っていきました。
ただ、見送るだけならいいのですが、この第一号、せっかく酷寒のシカゴで仕入れてきたナイスな
ダウンジャケットを我が家に残し、12月の日本へと帰ってしまったのです。
最後まで落ちを付けて仕事を残してくれる、そんな友人は何を思ったのか日本のラーメン1カートンを
お礼として送ってよこしたのでした。
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