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他人の空似 [ちょっとブレイク]


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近頃TVで笑っている長澤まさみが
なせか福田彩乃に見えてしまう

のは私だけ?


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昔の名前で呼んでます [ちょっとブレイク]

  なんだかんだと野暮用やスタッフとの飲み会などで、今週明けからバタバタ
気味です。すっかり生活のリズムも狂って、ご贔屓いただいている皆様への
訪問やコメントが疎かになってしまいました。どうもすみません。

この間、ある雑誌の電子版コラムを見ていたら、日本人夫婦の多くは子供が
生まれると、たちまちお互いの呼称が『パパ・ママ』や『お父さん・お母さん』へと
変わってしまい、水入らずの時の何とかチャ~ンなんていう甘いのが何処かへ
すっ飛んじゃうんだそうです。

だからこういうのを傍で聞いたことのある外国人は一様に驚き、なんで自分の
お父さんやお母さんの事を呼び合っているのか理解に苦しむというわけです。
外国でパパやママと言ったら実か義理の両親の事ですもんね。それを夫婦で
呼び合っていればそりゃあ滑稽に映るのも仕方ない。

原因は我々日本人社会において、どうも各々の役割を呼称にしてしまう文化と
習慣がそうさせているようです。子供が生まれたらダーリンはパパかお父さんへ、
ハニーはママかお母さんへと変身です。
あっ、そうそう。そう言えば日本語にはこのダーリンとかハニーと同義の言葉が
存在しませんよね。強いて言うなら『あなた』とか『おい』とか、またまた外国人
には訳が分んない人称代名詞的表現があります。

そして、一歩家の外へと出ると会社では上司を肩書で、学校では先生を先生と
呼びます。まあ、肩書の前にそれぞれ苗字が入ることが多いですが、それでも
欧米のように名前で呼ぶことはまず有り得ないという事です。見事初戦を
突破したなでしこジャパンの場合は、例外的に佐々木監督のことを則夫ちゃん
と呼んでいますよね。

ただ、子供も大きくなって独立でもしようかというくらいになると、夫は妻の名を
呼び捨てにするケースが増え、一応名前呼びへと回帰はします。妻は
相変わらずお父さんみたいですけどね。うちの姉妹のところはまさにこの
パターンです。

で、肝心のお宅はどうなの?ですよね。
うちはですね、この期に及んで未だお互い、チャン付けの愛称で呼んでます。


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耳に憑いて離れない [ちょっとブレイク]

  毎朝出勤の仕度時にTVから流れてくる木村カエラの物凄く『ケッタイな大阪弁』、耳に憑いて離
れません。それどころか、着替えながら毎回同じように突っ込みを入れてしまう自分が悲しい。

時報代わりに朝、TVを点けてる人は結構いると思います。お気付きでしょうがCMは大体いつも同じ
時刻に流れて来るものですから、テロップの時刻を観ずとも現在何分なのかが分るものです。朝の
行動パターンは皆さんマニュアル化されてるのと同様、私はこの木村カエラのチューンガムのCMが
流れて来る頃、大体自分の部屋を出て階下へ降りる準備をしている内の30秒間に当たります。

     冒頭省略

   ほかのガム噛んだらカエラ、怒るでぇ~

   (そこで怒るんやネ)

   カエラ、泣くでぇ~

   (オッチャンの腕の中、貸したってもエエ、けど?)

     中略

   ほな、サイナラ([グッド(上向き矢印)])!

   (ほな、サイナラ([バッド(下向き矢印)])やって! ここがみんな出来へんねんなぁ)


朝の忙しい時にこの調子ですわ。

耳に憑かせた原因はどうやら自分のようでした。


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超が付くほどセレブなスキー場 [ちょっとブレイク]

[スキー]8日付の朝刊各紙に『19歳のスキー場入場者はリフト代タダ』という記事が出ていました。
減少の一途をたどるスキーヤー・スノーボーダーの再掘り起しを行うために福島県などのスキー
場で今シーズン実施するそうです。[雪]

加山雄三の『アルプスの若大将』で一大スキーブームが起こり、その後は右肩上がりにスキー
人口が増加し、ホイチョイプロダクションの『私をスキーに連れてって』で恐らくそのピークを
見たのではないでしょうか。
まだ関越が無かった頃、鉄の鎖チェーンを携行して下道を何時間もかけて、湯沢方面などへ
出掛けたお父さん・お母さんは沢山いらっしゃるでしょう。[車(セダン)]

さて、ボルダーで久し振りのスキーを楽しんだ私は、その後全く縁遠くなってしまい、1999年の
ミレミアムシーズンで再び手を染めることになり、現在へと至ります。
北海道、東北、新潟、群馬、そして長野と機会がある毎に足を延ばしていましたが、そのうちに
やっぱり海外のメッカで滑ってみたいという願望に駆られ、ある年から年末年始にかけて繰り出す
ことになりました。

トンガン達とのコロラド特集をやりましたので、ここではコロラドのとあるスキー場の話をしましょう。

デンバーからプロペラ機でおよそ一時間、Aspen(アスペン) というスノーリゾートに到着します。
Snowmass, Aspen Highlands, Aspen Mountain, Buttermilk の4つのスキー場で構成
されているコロラド州というよりも、全米屈指の高級スキーリゾートです。

Aspen town.jpg
   Aspenの町並み

まず、デンバーからトランジットでアスペン行きの便へ乗り込むゲートへ到着した時に、その何とも
言えないセレブの香りが漂うのです。
女性の場合、恐らくブランド物のスウェット上下の上から、いかにも高そうなモコモコのファーコート
を羽織って乗り込んで行きます。その後ろからはミニチュア版が付いて来て、親子セットでモコ
モコ!! 手にはスキーをするというのに、フランスH社のこれまた高級バッグを携行し、子はV社
物です。お父ちゃんは意外と地味なんですが、中にはもろテキサスの石油屋さんみたいなテンガ
ロンハットを被ったド派手なオッチャンもいました。 [がく~(落胆した顔)]

  いやぁ~、これ、ほんと半端じゃないよ! [ふらふら]

思わずこぼれる一言。
唯一平等だったのは、エコノミーしかない座席だけ。[わーい(嬉しい顔)]

空港についてタラップを降りた途端にまたビックリ。
こんな山奥の空港にプライベートジェットが所狭しと駐機されていたのです。
 

  本物はこれで来るわなぁ。


空港から町の中心までは車で15分程とアクセスは抜群です。
町はまだクリスマスデコレーションがきらびやかな、こじんまりとした所ですが、何気に立ち並ぶ
ショップを見ていると、あるわあるわ、ブランドショップが何軒も。[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]
ビバリーヒルズのロデオドライブがそのまま凝縮されて引っ越して来たと言うたたずまいです。
あるショップではシャンパン片手にショッピングを楽しむセレブがいましたっけか。
日本食レストランもバッチリと在りましたよ。日本人板さん常駐のです。

Aspen Christmas.jpg
     ホテルのロビーにあったピアノの上のクリスマス・オーナメント

セレブが集まる所と言えばAspen Mountain にある御用達の5星ホテル Little Nell  でしょう。
いわゆる ski-in ski-out で、ホテルの専用出入り口でのスキー装脱着が可能です。
シーズン中の予約は1年前からしておかないと絶対に取れない、そんな大人気でしかもデラックス
なホテルです(それでもダメな場合が多いらしいです)。
Little Nell のロビーまで散策に行きましたが、やはり近寄り難いバリヤーのようなものが感じ取
れ早々に退却してきました。

とても一度の滞在で滑り切れるスキー場ではありませんので、私もついリピートしてしまい、2回
目でほぼ全山制覇して帰って来ました。
どちらもリーマンショック以前の訪問なので、あの後アスペンはいったいどうなったのでしょう?

アメリカ人の富豪と呼ばれる人たちはその人口比率の1%だという事ですが、引き続きこの1%
のセレブのうちの何十%がこのスキー場をきっと支えているのでしょうね。
全行程に体がついて行ける内に、同じコロラド州にある Vail へ行こうと策略中です。
ヨーロッパもいいのでしょうけど、どうしても思い出の地を贔屓にしてしまうようです。 [ムード]

メルマガを登録してあるこのアスペンをはじめ、そろそろ『いらっしゃいよ』コールが始まる季節と
なりにわかに体がモゾモゾとし始めたみたいです。


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芦田愛菜に学ぶ言語学的処世術 [ちょっとブレイク]

芦田愛菜を知らないお父さんはまさか居ないでしょうね。
かの安達佑実に、「愛菜ちゃん、最近すごく働き過ぎてるんで、ほんと、心配です。」と言わしめた。
横浜そごうに800人も集めてソロデビューのお披露目をやったと知った、うちの奥さん曰く、

あらっ、ソン・スンホンと変わらないじゃあないの!!

このコメント、どう捉えるかは別として、ここで一つ箸休めに、彼女が成功してしまった理由を
言語学的見地から検証してみたいと思います。

彼女の演技力や時としてオーバー過ぎる表現力は、同世代の子役の域を遥かに超えて、今や
一端の演技派女優と言っても過言ではないでしょう。
では、どうしてこんな7歳の子供がここまでやって来れたのか?
実はその答え、彼女が操る『言葉』にあると思うのです。

愛菜ちゃんは確か、関西出身だったよね?
あっ、ハイ。兵庫県です。

でも、全然、関西弁とか出ないけど、ちゃんと練習とか、してるんだ。
あっ、ハイ。新幹線で東京へ移動してるとき、熱海を過ぎた所ぐらいから標準語を話すように
いつも心掛けています。

すっごいね、愛菜ちゃん!
あっ、ハイ。 へ、へ、へ、へ・・・・・
と、愛想笑いしながらも口を横開きにして、上唇を深く甘噛みし直す愛菜ちゃん。

 
*ある早朝の情報番組でのインタビューより。50も過ぎたおっさんが、たった7つの子供のインタビューを真剣に聞き入って。

いやぁ~、大したもんだ。そう言わずにはいられません。参りました。降参です。
のぞみに乗って新横浜で降りるというのに、小田原通り過ぎても、まだ飲んだくれてるおっさん達
いっぱいいると言うのに!

前出の安達佑実にしろ加藤清史郎や鈴木福にしろ、みんな出身は東京とかでしょう!?
セリフで方言使わせた『おしん』なんてのも有りましたが、日常会話を完璧に近い状態で、しかも
小学校上がる前から出来てたって言うから、子供がいくら言葉を憶えるスピードが速いからと
言っても、
やっぱり彼女には語学的な才能があるに違いありません。勿論、努力もあってです。

だって、関西から京浜圏へ出て来て何年も経つのに、全然関西弁が抜けない人って皆さんの
周りに居るんじゃあないでしょうか? 当然ながら逆もまたしかりですが...。
関西人(関東人)のプライドと言うかアイデンティティーと言うか、そういうものを守りたい気持ちは
分りますが、やはり郷に入っては郷に従えの教えの如く、その土地の言葉を話す努力をすると言う
事は、一日でも早くその場所で、受け入れられると言う事に繋がると思うんです。
海外へ旅行した時に、挨拶だけでもその国の言葉を話すと、相手がものすごく喜んでくれる事って
ありませんか?

芦田愛菜さんはこれを完璧にやってのけているので、現在の人気へと結びついているんです。
もし、彼女がコテコテの関西弁しか話さなかったとしたら、今の地位は果たして築けたのでしょうか?
答えはノーです。
もし彼女が、じゃりんこチエやガネーシャ位のノリと突っ込みが出来るであれば話は別でしょうけど。

関西出身の俳優さんて結構いますよね。堤真一や森山未来みたいに、普段の喋りは大阪弁な人も
いますが、女優さんの中には、お笑い芸人でさえちょっと喋って貰えますか
なんて、冗談でも口に
出来ないくらいNGな人もいるほど神経使ってる場合があるそうです。
これくらいしないと、いつまでたってもローカルのままになってしまうのでしょうね。
ただし、お笑いの場合は大阪弁が商売のツールそのものですから、この限りではありません。

最近ではいつも目の下に隈をつくりながらも東奔西走する彼女、探られたくもない懐具合まで
ああだのこうだのと言われていますが、稼いだギャランティーは必ず来るであろう近以来のために
しっかりと取っておいて欲しいものです(余計なお世話か [ふらふら])。
語学的才能が有りそうな彼女を、スイスの何とかという名門私立学校へでも留学させて、未来の
キャリアとして育成し、外務大臣にでもなってあの演技力で是非、日本の為に各国の首脳と渡り合い
タジタジにさせていただきたいものです。

間違っても『あの人は今』、なんて番組に将来出ないためにも。


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ハワイアン グルメ [ちょっとブレイク]

当時、キャンパスでお世話になったカフェテリアは前出のブックストアの上にあるメイン・カフェと
もう一つは受講の関係でいつも昼時に居たキャンパス中央にある、ミディアムサイズのカフェです。
メニューはやはりハンバーガーやサンドイッチが中心で、その他には定番の照り焼きビーフやチキン
マヒマヒと言ったところです。勿論ベジタリアン御用達のサラダバーもあり、そこそこのラインアップ
でしたが、ここはやはり、カフェテリアに関してはカリフォルニアに軍配を上げたいですね。

だだし、前の大学と決定的に違うところは、周りに沢山の他候補があると言う事です。
中でも一番の贔屓はなんと言っても移動式プレートランチ屋さんです。

プレートランチを語らずして、ハワイは語れない。 [わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)]

それほど当時のプレートランチにはある種のパワーが感じられました。
厚紙の3区域(2つの小区域と1つのメイン区域)に分けられた丸いランチプレート。
メインの料理の選択にかかわらず、この小区域の一つには必ず天下のマカロニサラダが入ります。
日本のマヨネーズでは決して出せないライトな感覚のテイスト。このマカロニサラダが旨い屋台は
メインも必ず旨いと私的判断基準を設けていました。

そうです。お寿司屋さんの卵焼きみたいなものですよ。

他の小区画にはごはんが来ます。 ワン オア ツー スクープ?
アイスクリーム屋さんが使っているあのスクープでライスを盛ります。当然当時の私は2スクープス
ですから、
必然的に2スクープ目のライスがメイン区域に少しはみ出てしまいます。1スクープ目も
そのあおりでお隣のマカロニサラダとニアミスをしています。

さあ、ここでいよいよメインディッシュの登場ですが、今回はテリ・ビーフ(照り焼きビーフ)を選択。
皿からはみ出すくらいの骨付き肉が2枚、肉汁と照り焼きソースと共にこのメイン区域へとやって
来るわけです。先程メイン区域へとはみ出したライスに、このお汁がジュワ~としみ始めたところで
いざ、実食!! [わーい(嬉しい顔)]

木陰の芝生にあぐらをかいて食するプレートランチ、是非一度お試しあれ。 [ひらめき]
このほか私の一押し、チキンカツは絶対に外せませんね。
区画1及び区画2は前出と同じです。小さな紙カップに特製ソースが入っていて、これがなんとも
言えない味を出していて、チキンカツとの相性バッチリなのです。
その他以外にもヘルシーなハワイアンプレート。ロミロミサーモンとフリフリチキンの組み合わせです。
ご飯の代わりにポイ(タロイモを磨り潰し、ペイスト状にしたもの)も有りますが、私はこれがNG
なのでいつもご飯にしていました。

現在ではこのプレートランチ屋さんもその数が減少してしまったと言う事で、非常に残念ですが
メニューの洋の東西を問わず、探せばまだお店としで顕在している所もあるので、探し当ててみては
いかがでしょうか?
近年は非常に贅沢な装いとなっていて、サイドディッシュが2個も3個もあるプレートランチが
主流のようですね。
価格も昔の3から4倍もしていますが、この円高ですから結局はイッテコイなんですかね!?

今も変わらないと思いますが、ハワイの食文化に於いて、このテイクアウトというスタイルが占める
ウエイトの高さは、メインランド(アメリカ本土)
より群を抜いていると思います。
レストランで食事をしても、メインランドでは残す勇気と言うか習慣と言うか、完食で空になった
プレートをあまり見かけることはありません。
その点ハワイでは完食の美学と言うものか、それとも「勿体無い」と言う日本的文化と言うのか
残った食事は必ずと言っていいほどドギーバッグに詰めて貰い、自宅へ持ち帰って行くのです。

ハワイへ行かれたことがあるならこうした光景に一度や2度、遭遇していると思います。
郷に入っては郷に従えの教えに副って、食べ切れなかったメニューの中で、もしも名残惜しい
物があったなら、迷わずにドギーバッグをお願いしましょう。
短い旅程、遅くまで精力的に活動されるのでしょうから、小腹が空いた頃ビールと一緒にきっと
このドギーバッグが活躍してくれると思いますよ。 [わーい(嬉しい顔)][ひらめき]

ただし、TPOはしっかりとわきまえましょう。
何処でもドギーが出て来るわけではないので、くれぐれもご注意を!!


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アロハ! マノアキャンパス [ちょっとブレイク]

オバマ大統領の母上も通っていたハワイ大マノア校キャンパスは、マノアの地に広大に広がる
ビッグ・ユニバーシティーであります。 [ビル]
バイクの免許を取ろうと思い取仮免中に何度かその周りを走ったことがあるのですが、結構広い
と言うことを
身を持って実感できたほどです。
ハワイ州の学生の大半をはじめ、他州からの学生および我々海外留学生をも収容している
訳ですから無理もないですね。

ハワイ大好きなリピーターの方には是非、このキャンパス巡りをお勧めしたいと思います。[ひらめき]
校門があってそこに守衛さんが...なんてことは無いので、自由に散歩を楽しむことができます。
特に大学のロゴ入りグッズを販売しているブックストアで買い物をして、同じ建物にあるカフェテリアで
ランチなんて言うのもいいかもしれません。
最近ちょっとしたグッズは町場や空港のオフィシャルショップで求めることも出来ますが、ここは
やはり本物に混じって学生気分を味わうのもいいかもしれません。

学生のファッションはご存じのとおり、短パン、Tシャツ、そしてビーサンが三種の神器です。
とにかく男女共々肌の露出は場所柄多い訳です。
そんな中で長パンにポロシャツ、スニーカーなんて着ていると、これが結構目だったりするんです。
自分はこのビーサンと言うのがあまり好きではなかったので、短パンでもスニーカーのパターンが
多かったように思います。ただし、靴下の洗濯は増えてしまいましたが...。

ハワイ州オアフ島の人気の秘訣は適当に都会で、そして適当に田舎である所ではないでしょうか。
グアムやサイパンが大きくその人気で水を開けられてしまうのは、両方ともこの「適当に都会」という
要素が欠けているからだと思います。 
そんなハワイも学生達は至って素朴であり、なお保守的でもあった様に思われます。
特に日系人は当時まだ1世も健在で、学生の大半はまだ2世か3世であったのですから無理も
無いかも知れませんね。 そんな素朴さも魅力の一つだと思います。

使用する教室は当たり前かもしれませんが、専門性が強くなるのと比例してサイズダウンして
行きますが、必須科目の授業で使っていた教室の大きかったことには、カリフォルニアの片
田舎から
やって来た私にはたまげるには充分でした。
ちなみに私が学んだBusiness Administration、現在はShidler College of Business と名を
変えて素晴らしい建物になっています。これもひとえにShidlerさんの多額の寄付のおかげでしょう。
ユニバーシティー・アベニューからのメインエントランスを入った左手奥の校舎群がそうです。 [ひらめき]

当時から喫煙に関して非常なくらい厳しかったカリフォルニアに比べ、ハワイは日本人観光客が
多かったせいもあるのか、逆に異常なくらい大らかなのには改めてビックリしてしまいます。
キャンパス内での喫煙もほとんど遠慮することなく出来ましたし、至る所に灰皿が設けてありました
ので、何処でもOKと言う感じです。
また、ローカルの喫煙者も多かったのには驚きましたし、逆に同じアジア人でも香港人がほとんど
吸わないのは以外でした。メインランド・チャイナとは大きな違いですね。
現在ではその喫煙者の数も激減したそうです。

次号へつづく


もしも、生まれ変われるのなら [ちょっとブレイク]

カリフォルニア篇を書きながら常に頭の中に思い描いていたことがこのタイトル。

一にも二にも私は現代で留学している大学生になりたいです。
時代はあの頃とはすっかり変わりました。
私たちの時代では、留学生はある種異端児扱いされていた感は否めません。
(私だけだったかもしれませんが...)

こんなに世間が英語英語と騒ぎ立てるとは、あの頃では想像すらつかなかったことなのです。
会社の公用語は英語、TOEICは800点以上、留学経験者大歓迎、おまけに小学校で英語の
授業を開始。と思いつくまま挙げていくと、今までこんなに英語や留学が「チヤホヤ」される時代は
無かったんじゃあないですか!?

反面、海外へ出ていく若者がかなり減ってきている事への危惧があります。
企業は海外滞在経験者や英語が最低限話せる人材を探し、その情報をこうした若者達が
スマホを屈指して必死に読み(或いは読まされている?)、収集し、わずかな空き椅子へ何千人もの
学生が殺到する。結果、就職浪人が増加する。
何がどこでどうなって、こういう結果へと結びついているのか?

私の持論を展開させていただくと、インターネットと携帯電話の普及がある意味、その原因と
なっているのではないかと思います。

机の前に居ながら、電車やバスに乗りながら瞬時に世界の事が手に取るように解ってしまう。
もう「百聞は一見にしかず」なんて諺が通用していない、そんな気がします。
一例をご紹介すると、私の知り合いの娘さんは年頃だと言うのに、いっこうに海外旅行へ
行きたがらないので理由を尋ねたところ、インターネットで行ってるからその必要はないと返事が
帰って来たそうです。

これが極論だとしても、多かれ少なかれ今の若者達はきっと、彼女と同じようにインターネットで
色んな物事を食べ過ぎて、
お腹が膨れているのだと思います。
本当に食べ過ぎてお腹が一杯になると、動きたくなくなるのと同じように...。

自分の目で見て、手で触れて、耳で聞いて、足で歩きまわって、口で多くの外国人としゃべって。

留学ともなると結構な出費になってとてもじゃあないけど、うちには高嶺の花だわ。
果たしてそうでしょうか?
国公立大では歯が立たないのでしょうが、私立だとその授業料はそんなに変わるもんでしょうか?
ましてやこの超が付くほどの円高の時代(実際に私がアメリカに居た最後の頃の1/3ですよ!)
生活費を入れても日本で私学へ行くのとそう大差がないのでは?。

せっせと円を売ってドルを買い、かわいい子には旅をさせて、しっかりと付加価値を身につけて貰い
来る就活戦線で堂々と立ち振る舞える、そんなたくましい子供を育成していただきたいものです。
或いは当事者の本人から親御さんにおねだりしてみたらどうでしょうか。

最後に、野田首相、これって円高抑制対策にならんですかぁ?

 


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アメリカンファミリーに思う事 [ちょっとブレイク]

私がアメリカから帰国して早30年近くが経とうとしていますが、その間に日本人の生活様式の
変化に伴い、家族の「様子」もガラリと変わりました。
核家族なんて言う言葉はもはや死語になってしまい、現代では至極当たり前な事ですよね。
その核家族の中で最も大きくそして激しく変化して来たのが、やはり父親の役割でしょう。
イクメンとか言われ(まさかこれも死語になってませんよね?)育児や家事での父親の
ファンクションが大きく変わり、今ではアメリカ人のお父さん達をも遥かに凌ぐ勢いで、家庭に
おけるその存在感が増しています。

ですから今現在のニューファミリーが、映画やTVでアメリカ人ファミリーの描写を見たとしても
何の違和感も持たないのではないでしょうか。 たとえば、ママの留守中にパパが子供たちに
食事をさせている場面や、家族揃って公園で楽しそうに遊ぶ場面とか。
かく言う私もアメリカ帰りですから、家内の食料品買い出しに帯同する事はオートマティックに
決定している事項の一つであります(実はもう一つレディーファーストという決定事項も有ります)。


スーパーへ行っても小さな子供を連れたパパ・ママをたくさん見かけます。当たり前です。
私みたいにただのポーターではなくて、パパもしっかり買い物に参加しています。
最初にあったこの場面に対する違和感はもう有りませんが、ただ一つ、そのパパとママ達の
年齢層が私の時代とでは10歳は高くなったてはいないだろうかと言う一種の違和感はあります。
これは私の勝手な想像と前置きしたうえで、50歳を過ぎても第一子がまだ成人していない
家庭の数が、今後急カーブの右肩上がりになって行くのではないでしょうか。

と言うことはですよ、子供(達)が全員独立して親の生計から離れ、そして親がようやく
老後の準備を始められる年も恐らく10年は最低繰り延べになるんで、ちょっと大変なんじゃあ
ないかと思ってしまう訳です。今の三世代バジェットは、じーじ・ばーば達がそれなりの年齢
子供たちを独立させたので、年金やそれまでの蓄えによって息子や娘家族のサポートまで
出来るんですが、今のちょっとお年を召したパパ・ママ達が、じーじ・ばーばになる頃果たして
同じことが出来るのかは大きな疑問です。
雇用問題、年金問題、はたまたお国の破綻まで揶揄されている訳ですから、心配でなりません。

そこで、ここは一つ現在も続くアメリカンファミリーの伝統とでも言いましょうか、私自身が好きな
風土と言うのがあります。
それは18歳になったら子供は皆、親から離れるのです。大学や専門学校への進学又は就職と
子供がどの道を選ぼうが、とにかく親から自然に離れて行くんです。
アメリカの場合は国土の大きさもあるので、進学先がどうしても実家から離れてしまったりするので
必然的に親元を離れることになるのですが、日本も結構親元を離れて進学したり就職したり
しているケースが多いのですから、「そのまま戻って来るな」と親がもっともっと奨励すべきです。

勉強の合間のアルバイトは勿論学費の足しを創ることが大前提で、早くから自分の頭と体で
家計をやり繰りすることを学び、生活の知恵を身に付けて行く。
そして、卒業して就職したら完全に親の生計からも独立する。
日本人と比べてアメリカ人の方が数段も自立していると言われる所以ではないでしょうか。

盆・正月や家族の誕生日・記念日などに家族が集まって顔を揃え、絆を深め、本来あるべき姿を
取戻し、日本の古き良き風習を尊ぶ。まさに今回の震災後に我々日本人の心の中に目覚め
始めた家族の「絆」の大切さを、確実なものにする為にも是非、18歳独立をお勧めしたいと
思うのであります。


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San Francisco Tour [ちょっとブレイク]

宿の辺りだけでもかなり刺激が強いのだが、サンフランシスコと言う街は実に奥が深く
そしてア―ティスティックである。
街の全盛期はかなり前に終わってしまい、今は寂れた静かな街になってしまったのは
非常に残念でしょうがない。 皆さんが目にするアメリカ旅行のパンフレットから
『7日間サンフランシスコ&ディズニーランドの旅』のような謳い文句が消え去ってしまっている事に
お気付きだろうか。 事実日本人観光客が激減してからはこの街にあった生粋の日本食店が
姿を消してしまったようだ。 代わりに器だけ引き継いだ外国人経営の「なんちゃって、日本食」が増えた。

短期間でも住んだ者の根贔屓かも知れないが、アメリカへ来る度にこの街をわざと経由するような
行程にしてしまい、懐かしい場所へ行っては思い出に浸ること多しである。
乗継便は断然ロス・アンジェルスの方が多いが、あの煩わしくやけに時間の掛かるセキュリティー
チェックを考えると、スイスイとストレスフリーで利用できるサンフランシスコは外せない。
乗継便の都合に合わせて最低必ず一泊はしてしまう。

まずやはり外せないのがケーブルカーに乗ることだ。 主線だったと思うが確かパウエルストリート
から出発してフィッシャーマンズワーフへのライドが観光気分を盛り上げてくれる。
始終点ともケーブルカーの方向転換用ターンテーブルがあって、ドライバーとの記念撮影にも
最適だと思う。 途中この街独特の建物やそこに住む人たちを見ていると、あの2か月間が非常に
懐かしく思えてくるのだ。 また坂のてっぺんから眺めるアルカトラス島も、絵葉書よりずっと美しい。

終点のフィッシャーマンズワーフはボイルしたワタリガニとクラムチャウダーの店が
風物詩のようになっているが、昔に比べるとかなり数が減ったような気がする。 
代わりになんでこんなに居るのと言いたいくらい増えたのが、なぜか甲羅干しをするアシカの群れだ。
繁殖力がすごいのか、天敵がいないのが幸いしてかは知らないが、相当な数である。
色んな土産物屋やショップが立ち並ぶピア39は相変わらずのようだが、その分街中のショップが
かなり減ってしまったような気がする。

花好きやカップルにはケーブルカーの路線を換えてロンバルトの坂へ行くのが良い。
坂のてっぺんからくねくねと続く道路を、両脇の家と花壇を見ながら車でも降りて来れる
ちょっと奇妙な反面メルヘンチックなスポットである。

また話は逸れるが、車と言えばあのサンフランシスコ滞在中に一時、車を預かることになった。
訳は話すと長くなるので割愛するが、向う見ずにもマニュアル車でもあったのだ。
この街でマニュアル車を操ることが出来れば、F1ドライバーにもなれる?なんてことは無いが
私の運転および路駐技術は格段に向上したことは言うまでもない。
しかし、その大きな代償として、クラッチを新品にした車を返却する羽目になったが...。
だからこの日本でも、函館や長崎で運転しろと言われても、全然平気なのだ...と思う!?
坂道発進・坂道縦列駐車はお手の物である...はずだ!? たまに急坂で路駐してる車の前輪が
まっすぐ前を向いているのを見かけると、駄目出ししてしまう癖は未だに抜けていない。

少し足を延ばせるのであれば、ゴールデンゲートブリッジを渡ってサウサリートまで行きたい。
ヨットハーバーと高級コンドミニアム&別荘が立ち並ぶセレブな町だ。
天気が良くても霞んでいる時が多いが、対岸にダウンタウンのビル群が見えてなかなかいけてる。

サンフランシスコへ来ると何故かチャイニーズが食べたくなるので、一泊でもわざわざチャイナタウンまで
出向くことがある。 昔ほどの賑やかさは無くなったが、多くの店が頑張って商売している。
その中の一軒にお気に入りの店がある。 今日現在存在しているかは定かではない事を前置きして
紹介すると、香港から移民して来た家族がやっている広東料理の店で、高級感は無いが
家族食堂的で馴染みやすい。 会話はもちろん英語で大丈夫なのだが、片言の広東語を話すと
やたらと喜んでくれサービスもかなりレベルアップするのだ。

ビールの後グラスワインを注文すると、キッチンから親父さんがグラスを両手で持ちながらしかも摺り足で
ゆっくりとこちらへやって来るので、思わずそのグラスへ目をやると、なんと表面張力を目一杯利用した
これぞ並々と言わんばかりのワインが慎重に目の前に置かれたのだ。
一杯でも十分だが、親父さんの摺り足がもう一度見たくて、ついもう一杯頼んでしまう。
いっぱい笑って食べた後店の外へ出ると、
突然の静けさと薄暗さに先程とのギャップを感じてしまい
何だか急に淋しくなってしまう。 ちょっと辛い瞬間である。

再び明かりを求めるなら、ここからユニオンスクエアまで行かないと拝めない。
歩くには8ブロック程あるので腹ごなしと思えばいい運動だが、勇気もいるところだ。
スクエアの周りには老舗ホテルのウェスティン・セントフランシスや近代チェインのグランドハイアットをはじめ
ニーマンマーカスやサックスフィフスアベニューなどのデパート他、高級ブランドのブティックも軒を連ねている。
この手の達人曰く、この街はある意味穴場だそうだ。

車が無くても十分自分の足でしっかりと吸収できる街、それがサンフランシスコ。
書いてる内にまた行きたい虫が騒ぎ出したようだ。


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